昭和40年代・都電1500形とつげ義春 [都電のいる風景]
都電のいる風景
昭和40年代に一斉を風靡した劇画家に、つげ義春という人がいます。「ねじ式」「赤い花」「ゲンセンカン主人」などのシュールな人気作で若者の間でブームとなりました。最近文庫を入手して読み返しています。
自伝的作品も多いのですが、そのなかに、こんな場面が・・・つげ氏は、少年~青年時代をすごしたのが江東方面だったようで、彼の作品にはしばしば都電が登場するのです。
この(↑)アンダークロスは、明らかにここ(↓)が舞台です。(2)
江東地区の都電は独特な雰囲気を持っていました、専用軌道区間の多さといい、工場地帯の情景といい、この地区の都電は魅力的で、撮影に通いつめたものです。38番、29番、25番などを受け持つ錦糸堀車庫には1500形という、此処でしか見られなかった形式が在籍しておりました。今回は1500形オンパレードでごらんください。撮影は(12~17)以外は昭和45年5月→ 時あたかも、つげ義春ブームの絶頂期でありました。
(3) 東陽公園前から始まる専用軌道は、今は無き老舗車両メーカー「汽車会社」の工場裏を回りこみ、専用線→越中島貨物線をくぐります。時には新車搬出と都電の出会いも見られたことでしょう。38番門前仲町行き1500形がゆっくりと進んできます。
(4) ビューゲルをぎりぎりに下げて、通過する38番錦糸掘車庫行き1500形。錦糸町駅前でなく錦糸掘というのが歴史を感じます。ちなみに錦糸堀車庫は国鉄錦糸町駅のまん前、今の丸井のところにありました。
(5) 昭和40年代のこのあたりは、大小の工場の間に古びた小住宅が入り混じった風景が続いていました。その間を専用軌道で抜ける独特のムードにひきつけられました。都電の物とは異なる架線鉄柱は、城東電気軌道時代のものでしょうか?
(6) 戦後すぐに建ったらしい木造住宅の脇を、日本橋めざして1500形が駆け抜けます。
(7) 路地には割烹着姿のおかみさんが・・洗濯物が干された部屋にはどんな住人が住んでいるのでしょうか?当時は何気なく撮ったカットですが、こうやってチェックしてみると色々な発見がありますね。
さて、場所は変わって、もうひとつの撮影名所が38番の沿線にありました。(8~10)今回唯一の1500以外の形式、やはり多数派6000ですね。 38番は水神森で25番西荒川行きと分かれて南下すると、境川の鉄橋にかかります。ここは25番の中川よりも川幅が狭いぶんだけ、すさまじい太鼓橋状態でした。この区間は須田町~葛西橋間の29番も一緒に走っていました。
(11) 川の前後はセンターリザベーションになっていましたので、大きな道路には本格的な踏切り標識が・・・待っているクルマや右にチラッと見えるアジビラ(もはや死語ですね)が時代を感じますねえ。
境川の鉄橋は人道橋として残され、都電のモニュメントとしてレールも残っていると、友人が教えてくれました。
38番・29番より一足先に姿を消した25番の終点西荒川、私にとって1500形に一番似合うステージはここだったのです~1500にとっては不服かもしれませんが・・・・?
(12~14) ニス塗りの室内、がりがりと音がするダイレクトのコントローラー、路線図の上の広告は林家三平の『梅もとの稲荷寿司』ですね・・
江東地区~今はどの場所もすっかり様変わりして、微塵の面影もありません。都電が消えた以後、住み人の姿もずいぶん変わったでしょうね。
(その頃は、こんな人が↓住んでいたのかも・・・このマンガの時代設定は昭和30年代ですが)
(17) 上のマンガは明らかにここがモデル。前にご紹介した25番の旧中川の鉄橋です。絵も1500形がきちんと描かれていますね。
今回は少しひねって、都電1500形と昭和のムードを感じていただきましたが、いかがだったでしょうか?
私は、昭和40年、ここを訪れました。今見返してみると、まさに昭和真っ只中って感じのエリアでありました。電車が消えて以来、路線跡を訪ねる事はなかったのですが、見に行って見たい気持ちになって居ます。西荒川は、ついに行く事がなかったので、後悔して居ります。
私のHPに昭和40年のアルバムがありますので、ご覧下さい。下のURLでアクセスできます。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link168-2.html
(11)のセドリック・・・懐かしいです。
by む〜さん (2010-06-03 09:35)
黄色の都電が縦横無尽に走っていた頃を見てみたかったです。
by しおつ (2010-06-03 22:16)
む~さん様
江東の都電を、青春(?)のこだわり漫画とあわせて紹介してみました。些か恥ずかしいですね・・。お写真を拝見すると同じような所で撮影していますね。先輩の足跡を辿った感じがいたします。この辺りには他にも面白い物が・・境川に鉄骨むき出しの車庫があって、撮影しようと思っているうちに消えてしまいました。
お写真を拝見しているうちに気がついたのですが砂町のアンダークロスは汽車会社の専用線ではなく、越中島貨物線でした。記事のほうは訂正いたしました。
by Cedar (2010-06-03 23:05)
しおつ様
黄色の都電は撤去が決まると、あれよあれよという間に消えていきました。江戸っ子のあっさり&見栄っ張りな気質のせいでしょうか。
杉並線や銀座線の時こそ行事がありましたが、それ以外は粛々と消えていきました。アレだけの路線網が5年で消えたのは、今となっては拙速でしたね。
by Cedar (2010-06-03 23:11)
うつマモル様
ご訪問&nice!ありがとうございます。
by Cedar (2010-06-04 09:04)
やまびこ3様
ご訪問&nice!ありがとうございます。台湾の続編期待しております。
by Cedar (2010-06-04 09:05)
nexus6様
ご訪問&nice!ありがとうございます。
by Cedar (2010-06-04 09:07)
gardenwalk 様
ご訪問&nice!ありがとうございます。昔写真ばかりでなく、今の写真もと思うのですが、なかなか時間が無くていけません。
by Cedar (2010-06-04 09:09)
遅ればせながら拝見させていただきました。
確かに都電をオーバークロスする鉄道路線は電化されていますね!
汽車会社からの搬入経路なら間違いなく越中島線のはずですし・・・
ひょっとしたら汽車会社製造の電車の試運転などに使われたのかも・・・??
・・・あくまで私の憶測です(笑)
by あおたけ (2010-06-04 17:04)
7枚目と12枚目の写真に釘付けとなりました‥
路面電車は生活圏と密着していますね。鉄道風景の写真を撮っていたら、人の家の生活を覗いてしまった。そんな事、昔は「国鉄」でもあった様な気がします。
12枚目は「ジオラマ」ですね。
by suzuran6 (2010-06-06 07:30)
suzuran6様
最近の鉄道は高架線にしても、地平区間でもやたらに柵や塀に囲まれてしまっているのが残念です、JRの凄く立派な線路には近寄り難い・・(笑)。安全になったのはいいのですが、生活圏の中に鉄道がいないということでしょうか?
いつか、この風景をジオラマ化したいものです。
by Cedar (2010-06-06 08:13)
kan様
ご訪問&nice!ありがとうございます。
by Cedar (2010-06-06 10:15)
ここですよ、ここ! 越中島貨物線と都電の交差する場所。
ここをこの前歩いてきました。こんなふうになっていたのですね。。
Cedarさんの写真と自分が見てきた風景を、今重ね合わせています。
by うたに (2012-07-31 12:53)