鉄道写真や町歩きのスナップと、鉄活動の感想や思い入れを書くブログ。戴いたコメントのリプライ、削除は管理人の判断で行います。画像の商業使用はお受けしません。
今から44年前、昭和43年9月に姿を消した、都電15番。(1) 前回に続いて面影橋の分岐の写真です。例の<神田川>アパートと15番の都電(部分拡大)。
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こんにちは。一気に涼しくなって、まさに「暑さ寒さも彼岸まで」の諺とおりですね。
涼しくなったのはいいのですが、雨が強い・・・久々に散歩がてら撮影に・・という目論みはあえなく挫折~ネタ切れ時のお馴染み=古い1枚写真でご機嫌を伺います。撮影は昭和43年9月です。(1) なにやら小ぶりな電車が、ごみごみした町並みを走ってきます。右に分岐していく線路も見えていますね。
先週の木曜日、9月22日は台風も過ぎ去って、古い友人と昔なじみのエリアで呑む事に・・・ (1)東京で酒飲みやっていたら、好むと好まざるにかかわらず、一度くらいは行ったことがある、この町です。
前回に続いて、江戸東京博物館で開催中の都営交通の100年博に行ったご報告です。
(1) JR両国駅に隣り合う江戸博。その昔、今頃の季節になると、3本あった列車ホームから千葉の海水浴場に向けてDCやSLの牽く客車が超満員で発車したものでした。小学校の臨海学校もここから出発したなあ・・・と列車ホームの名残を見ながらしばし感慨にふけりました・・・
おっと、今日はそういう話じゃなかった(汗)
(1) 本日7月14日から、両国の江戸東京博物館で<東京の交通100年博>が開幕しました。都営交通100周年記念の特別展とあって、いち早く行ってきましたので速報です!
前回に続き、昭和44年6月の都電32番の画像をごらんに入れます・・・・
と言いながらまたも現在の東池袋4丁目の画像からスタート。
(1)今回の記事のきっかけになった鬼子母神訪問のルートは有楽町線東池袋から都電に乗り換えたところから始まりました。 (2)昭和44年の東池袋4丁目。(1)と同じく大塚・王子方面の電車を撮っています。首都高はまだ工事中、現在のグリーン大通りには、池袋駅へ向かう17番(臨時20番も時々走っていました)の線路が走っていました。右が池袋駅方向です。
先日、所用があって、母校近くの雑司が谷・鬼子母神界隈に行った私・・・ショックで呆然!都電の鬼子母神停留所の周辺が、私が知っている景色とはまったく変わってしまってたのでした※。あまりのショックにかろうじて1カットだけ撮影して、カメラはバッグの中に・・・(1) ※あくまで、昔のこの場所(下写真)が大好きだった私の個人的意見ですから、お許しください。 (2)骨組み(古レールですね)だけのホーム屋根の残骸は王電時代のものでしょうか? 8000の裏側辺りが(1)で8800が停車しているところですね。
昨日、都営地下鉄の某駅でこんな小冊子を発見。 今年で100周年なんですねえ。明治44年に東京市電気局として発足からの都営交通(昭和18年までは市営交通ですけど・・)の歴史がまとめられています。
今日は昭和43年の或る日、高校の鉄仲間とぶらっと撮影に出かけた都電20番の画像で、ご機嫌を伺います。
都電のいる風景 (昭和43年護国寺・音羽界隈) 20番の末端は、徳川綱吉が建立し、多くの著名人の墓のある護国寺前で、池袋駅に向かう17番と分岐していました。護国寺の山門からまっすぐに伸びる音羽通りを江戸川橋に向かっていました。
前回の続きで、昭和43年撮影、廃止をひと月後に控えた青山の都電。彼らのねぐら青山車庫の記憶です。
都電のいる風景
(1・2)不動産デベロッパーが涎をたらしそうな都心の一等地に広大な敷地を持っていた青山車庫、今は国連大学の敷地になっています~そうです、あそこに都電の車庫があったんですよ。
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