R.I.P.フィル・スペクター [映画・音楽]
18日朝。音楽プロデューサー、フィル・スペクターの死去が報じられましたね。その日は彼を偲んで1日中レコード聞いてました。(1)ちょいと鉄はお休みして、「Wall of Sound」の巨人についてのCedarなりのレクイエムを~
※ということで、お電車もモケーも全く出ません。
日本の報道では、ビートルズの楽曲のプロデューサーとして語られるばかりでしたが、Cedar的にはそりゃ間違い(片手●●という禁止用語使いたい)なんですよね。(2)朝日はちらっとウオール・オブ・サウンドに触れてるけど、ビートルズのプロデューサーってのは違うっしょ!
フィル・スペクターといえば、なんといっても60年代初頭の「スペクター・サウンド」~独特のリズム感と「Wall of Sound」と呼ばれた、ストリングスのボリューム感でぐいぐい押しまくる数々のヒット曲が、真っ先に脳内によみがえってくるんです。それまでPOPSというと歌偏重で、サウンドはペラペラチープなものが多かった時代に、この贅沢さはすごかったですね。これを生み出したのが若き天才、フィル・スペクターだったのでした。
(3)
高校生のころからPOPグループ(↓)を組んで活動していた彼は、自作の曲を自分でミックスダウン、サウンド創りしていたようです。
(4)右の少年?がスペクター。
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高校生のころからPOPグループ(↓)を組んで活動していた彼は、自作の曲を自分でミックスダウン、サウンド創りしていたようです。
(4)右の少年?がスペクター。
超有名アーティストであるビートルズ(&そのメンバー)との仕事は、いわば裏方ですが、若いころの彼はアーティストを発掘して育て、曲も書き、そしてアレンジも、ディレクションもやって、独自のPOPSを生み出したんです。自分のレーベル(Philles Records)まで作ったのはAPPLEのお手本だったのかな?
スペクターというと、やはりガールズ・グループですよね。
有名なところではRONETTES~(5)最大のヒット曲「Be My Baby」は一度は聞いたことあるんじゃないでしょうか?
ストリングスのぶ厚いバックと独特のパーカッションに乗って、一時期スペクター夫人だったVeronica(ロニー・スペクター)のモブヴォイス~かの大瀧詠一さんいわく「ヴェロニカの色気声」~がねっとりと唄う(6)今回、ロニーさんは、追悼のコメント発表したそうです。
Cedarのいちばんお気に入りはThe CRYSTALS~「Da Doo Ron Ron」かなあ。(7)これぞスペクター・サウンド!所詮素人のCedarがグダグダ説明するより、聞いていただくのがいちばんですよね。→https://youtu.be/v-qqi7-Q19k
毎年クリスマスには、サンタに扮したスペクターさんがジャケになってるクリスマスアルバム聴きまくります。(8)これは日本版のジャケット、輸入盤ジャケはコレ↓
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有名なところではRONETTES~(5)最大のヒット曲「Be My Baby」は一度は聞いたことあるんじゃないでしょうか?
ストリングスのぶ厚いバックと独特のパーカッションに乗って、一時期スペクター夫人だったVeronica(ロニー・スペクター)のモブヴォイス~かの大瀧詠一さんいわく「ヴェロニカの色気声」~がねっとりと唄う(6)今回、ロニーさんは、追悼のコメント発表したそうです。
Cedarのいちばんお気に入りはThe CRYSTALS~「Da Doo Ron Ron」かなあ。(7)これぞスペクター・サウンド!所詮素人のCedarがグダグダ説明するより、聞いていただくのがいちばんですよね。→https://youtu.be/v-qqi7-Q19k
毎年クリスマスには、サンタに扮したスペクターさんがジャケになってるクリスマスアルバム聴きまくります。(8)これは日本版のジャケット、輸入盤ジャケはコレ↓
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日本にもスペクターサウンドの影響受けた楽曲は多いですよね
(10)大瀧さんの「うららか」はDa Doo Ron Ronの確信犯コピーだし~→https://www.youtube.com/watch?v=BjxkJAe0H_g
「恋するカレン」なんかも、かなりスペクターっぽい。
加藤和彦さん作曲、安井かずみさん作詞、岡崎友紀さん(!)唄の「ドウ・ユー・リメンバー・ミー」とかね。(11)この曲、なかなか良いですよ。
山下達郎さんのデビューアルバムなんかも、随所にスペクターの影響ありありですよね。(12)まじめな達郎さんは「真似したくても畏れ多くてもろコピーできなかったのでは?」というのは、音楽友でもあるイワキ鯨川君の説です。
(13)
Cedarの学生時代、ザ・ヒットパレード→GS→MOTOWN→DOO WOP経由で60年代のアメリカンポップス聴きまくってるころ、まるで巨大な壁(Wall of Sound!)のように立ちふさがってきたのが、フィル・スペクターでしたね。
山下達郎さんのデビューアルバムなんかも、随所にスペクターの影響ありありですよね。(12)まじめな達郎さんは「真似したくても畏れ多くてもろコピーできなかったのでは?」というのは、音楽友でもあるイワキ鯨川君の説です。
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Cedarの学生時代、ザ・ヒットパレード→GS→MOTOWN→DOO WOP経由で60年代のアメリカンポップス聴きまくってるころ、まるで巨大な壁(Wall of Sound!)のように立ちふさがってきたのが、フィル・スペクターでしたね。
そんな天才も殺人罪で禁固中の死(コロナだという説も)とは、なんとも悲しい最後でしたが、「罪は罪、作品は作品」として彼の音楽的業績が封印されるようなことが一切無かったのは、アメリカのいいところ~っていうか当たり前のことが出来ない日本がおかしいんですが~彼の奇人ぶりには目をつぶって、しばし音の壁に寄りかかることにします。
ではまた。
ではまた。
2021-01-20 08:27
nice!(8)
コメント(9)
ガキの頃、フォーク→ロック→ブルース→ジャズと進んだ私にはあまり縁のない人ですが、もちろんwall of soundは知っていました。
BS TBSのSONG TO SOUL と言う番組で、Be my babyを取り上げた回がありました。
成程、フィル・スペクターの本線はコレかと納得した次第です。
あくまで個人的感想ですが、アナログ時代にシンセのようなアプローチをしていた感じですかね?
by シグ鉄 (2021-01-20 09:53)
鉄ニャンのチラ見写真
ありがとうございます。
大瀧詠一は、大好きなシンガーでした。
「君は天然色」ではオープニングの旋律音から
いきなり音の壁、Wall of Soundを展開する
所など大好きでした。
by マサ (2021-01-20 10:17)
レコードがシングル盤からLP主体になるという時代背景もありそうですね。3分で終わりのドーナツ盤ではできない芸当です。
by モハメイドペーパー (2021-01-20 11:15)
■シグ鉄様
彼のやり方は生音の弦や管を大勢スタジオに呼んで一発録り、さらにダビング、という方法だったようですね。そりゃ金も時間もかかりますね。大瀧さんも日比谷野音でのライブで似たようなことやったらしいです。
■マサ様
そういえば「君は~」のイントロはスペクターっぽいですね。
大瀧、加藤、達郎と名うてのアーティストに影響与えたってことですね~ジョンレノンやブルーズスプリングズティーンなんかも影響を公言してますし。
■モハメイドペーパー様
LPではなく、3分のシングル盤の1曲に贅沢極まりないサウンド造りしたのが凄いんです!と、スペクターヲタクは肩入れしますね。採算とか、人使いの荒さにはかなり問題あったようですが。
by Cedar (2021-01-20 14:11)
偉大な音楽プロデュサーが逝ってしまったねぇ。
アメリカでは薬物、殺人のことがTVネタになっていたようだが、
音楽関係者から、それは違うんでないの、という声が上がっているようだ。業績と罪は別に考えるべきだと思うけどね。
Cedarくんも、大滝さんの「ウララカ」には、お世話になったから
足を向けては寝られないよね。でもなんでオリジナルの邦題が
「ハイ・ロンロン」なんだろう。「ダドゥ・ロン・ロン」でいいと思うけどね。
長くなるがフィルズで一番好きな楽曲は、実はベロニカ名義の
「WHY DON'T THEY LET US FALL IN LOVE」なのだ。
大滝さんも、GO GO NIAGARAのなかで、そんなことを
言っておったな。昨年後半から今年にかけて、多くの重鎮が
いなくなってしまった。寂しい限りだ。
by イワキ鯨川 (2021-01-21 17:43)
サウンドは凝った作り込みだったのですね。ポップスと一緒によく聴いていたプログレッシブロックの緻密な録音の手法も彼の影響を受けていたのかもしれません。
by 京葉帝都 (2021-01-21 17:47)
■イワキ鯨川様
多岐にわたるコメ、ありがとさんです。
大瀧さんが売れる前にいろいろ絡ませてもらったときに、サンプルでスペクターの楽曲聴かせてもらったなあ~あのゴージャスなメジャー感は広告向きなんですよね。
その影響か、別の仕事(クルマ)でスペクターサウンド劣化版やった(爆)。ベロニカ名義のその曲は知って気もするが調べてみます。
■京葉帝都様
スペクターの録音方法は、ビーチボーイズやその後のロックには多大な影響を与えてるでしょうね。ビートルズのメンバーが、彼にプロデュース依頼したのもそういう流れだと思いますね。
by Cedar (2021-01-21 18:51)
日本ではフィル・スペクターがザ・ビートルズ絡みで語られるのは仕方ない事だと思っています。(ザ・ビートルズ・ファンだからこう書いてんじゃないですよ)
フィル・スペクターを以てしてもザ・ビートルズの壁は崩せなかったと。
「ザ・ビートルズのアルバムも手掛けたプロデューサー」なら解るけど…。
ザ・ビートルズのプロデューサーはジョージ・マーティンに決まってるじゃないかっ!(笑
彼は‘美味しいサウンド’作りの名手でしたね。
だからフォロワーが沢山登場したし、インスパイアされた楽曲も多い。
開局したばかりのFM放送局は洋楽と言うと挙ってWall of Soundてな時代もありましたねぇ。
ロネッツなんて耳タコで聴いたもんなぁ。
でも、音楽に活気がある時に大活躍した人が亡くなるのは寂しい限りです。
合掌。
by Junior (2021-01-22 15:37)
■Junior様
ビートルズの出現でアメリカンミュージックは終わった、というのは1963~1964のヒットチャートの激変が物語っていますね。そういう意味では仰ることは正しい。この年はまた、インタアーバンが消えた年でもあります(ノースショアの廃止!)アメリカは音楽もお電車も死んだわけですね~
このところ、自分が若いころの音楽におけるカルチャーヒーローが次々亡くなっているのに、へこんでます。
by Cedar (2021-01-22 19:48)