12月1日、日曜日は所用で南武線某所へ
(1)お電車フェチとしては、とーぜんEほにゃららの撮影を!なんてはずはありません。
(2)緩急接続なんか撮ったけど、行きがけの駄賃です。Cedarには別の狙いがありました。
ラッキーにも下車駅西国立の川崎寄りに、それハツケーン!
(3・4)
おー!開業当時からの架線柱を見つけました!
(5)今の若い鉄にはカンケー無いけど、南武線は戦前は国鉄ではなく、南武鉄道という私鉄で、架線柱も私鉄らしい電光形鉄柱でした。
(参考写真1)私鉄時代の電車と架線柱、まさに今日見たのと同じ形です。かっては線路も繋がり、車両のやりとりしていた小田急のと似た架線柱でした。
(参考写真2)映画「めし」に出てきた登戸の南武線。
(6)最新形(じゃないですね!そのくらいは知ってます)のお電車と私鉄っぽい華奢なクラシック架線鉄柱の組み合わせもいつまで見られるやら。
所用は2時間半くらいで終了し、帰路途中に降りたのは黄昏迫る谷保でした。
(7)なぜこんなところで降りたか、なんて聞くのはヤボですぜ、旦那。
(8)ここにも開業当時の架線柱が、しかも4径間もまとめて残ってるのを、架線柱フェチCedarは、行きがけの車内から確認していたのでした。西国立のはビームが架け替えられてましたが、こちらはそれもオリジナルスタイル!
(9)ここだけ見るとJRの線路には見えないじゃん!〜と舞い上がってるのはCedarだけですね。こんな写真ばかり見せるブログなんてアクセス増えるはずがありません(爆)!とか言ったそばからディテール写真へ。
(10)
取り付けられたプレートには1934(建植された年か?ちなみにこの区間の開通は1929年)の文字が〜
(11)69って制限速度?なはずはない…だからって。
(12)田舎臭い南武鉄道100形がNAMBU LINEのレタリング入りお電車に変わっても、架線柱は昔のままってことです〜それがどうした。
電車はみんなおんなじでつまんないから、そろそろ帰ろうとしたら〜
(13)ん?三つ目がとおる!?
(14)四つ目ウナギのお通りでした。
私鉄〜国鉄時代を通して貨物輸送のウェイト高かった南武線らしいです。
(15)ED27+ホッパー車は遠い昔のことですね。
(16)あ、ED27は元南武鉄道のこんな機関車です〜昭和36年撮影。
同じ頃の谷保駅の様子が国立市のサイトにありました。
(17)当時は単線区間の交換駅でしたが、貨物列車のために有効長が長くとられて、今は一部しか残ってない私鉄時代の架線柱がずらりと並んでます。
(18)「構副」ってのも単線時代からの呼称ですかね。
〜こういう架線柱は良いです!電車いなくても良いです〜なんて。
(19)
とかとか、架線鉄柱フェチとしては、川崎寄りの古い複線区間にも開業当時のがチラホラ残っているらしいので、次はそっちを狙ってみます。
ではまた。
架線柱フェチには堪りませんね!
夕方いう時間帯も架線柱をより魅力的に見せますね!
by Chitetsu (2019-12-02 07:22)
▪︎Chltetsu様
谷保の架線柱は堪らなくええ感じでした。
ちょうど貨物列車もやってきて、なかなか楽しい黄昏時間でした。
by Cedar (2019-12-02 08:56)
国立に少し住んでたことありました。谷保には百恵さんが住んでいるんですよ。国立駅前は百恵ちゃんクレープなんてだしちゃって大騒ぎだったことをおもいだしました。松葉つえでリハビリだと技研のまわり1週しようとして、結局途中で挫折してタクシー、国立近辺にはパチンコないので、谷保までいったりしてました。障碍者にやさしい街、国立最高!!!!!!!!
by ひでほ (2019-12-02 20:07)
谷保のあたり、昔は単線だったから、複線化の時に架線柱も片方は移設したということになりますね。
by モハメイドペーパー (2019-12-02 20:10)
▪︎ひでほ様
コメントありがとうございます。
▪︎モハメイドペーパー様
この架線柱のあたりは貨物列車のため交換設備が長くなってた部分ではないかと思います。画像17に見えていますね。
by Cedar (2019-12-03 01:16)
下は太く上は細い架線柱は、私鉄らしい個性があって見入ってしまいます。他の大手私鉄では、上が太くて下が細い、またR付部材をうまく取り入れたものも見られますね。車内から前方をしっかりみていると古い架線柱が見つかることもあるでしょう。
by 京葉帝都 (2019-12-03 12:30)
またまた本題とは関係ないことを考えてしまいました。
浜川崎から中央線に抜けると思われるタキ連太郎、尻手から新鶴見に抜けて武蔵野南線を通らないのは何故?
良く考えたら、西国分寺には南側のバイパスはないんですね。
尻手ー府中本町間はどっちを走るんですかね。そのまま南武線なのかな。
by シグ鉄 (2019-12-03 12:35)
▪︎京葉帝都様
小田急や南武など、昭和初期開通の電化私鉄の架線柱はこういう華奢なデザインが多いですね。関西形のガッチリした電光形鉄柱は殆どありません。
▪︎シグ鉄様
このタキ連太郎は前に矢向あたりで見かけた事があるので、南武線をそのまま走るのだと思いますが、JR無関心なんで正解は分からずです、
by Cedar (2019-12-03 14:28)
お隣の矢川駅は立派になりましたが、ヤボ駅は変わりませんね。
駅至近の居酒屋兆治は良く通いました。
https://987.blog.ss-blog.jp/2006-09-07
by gop (2019-12-03 18:29)
谷保駅は、昔、「谷保天神」に何度かお参りしたことがあり、最近でも、矢川寄りの線路際にある国立市役所への社用で何度か降りたことがありましたが、駅の周りの、なんだか中途半端に見える雰囲気は大して変わっていないようにも見えました。市役所への行き帰り、南武線を通る、長い編成の貨物列車に遭遇したことも結構ありました。
「野暮」の語源はこの「谷保天神」にあるそうで、国立市は戦後間もないころまで、「谷保村」を名乗っており、町になったときに「国立町」と名を変えたのです。埼玉西武の前身の不動産会社だかにより宅地開発され、国分寺と立川の間にできた新駅だから駅名が双方から一字ずつ取った「国立」になって、やがてこちらが町の玄関になり、本来の地域の中心だった「谷保」地区は裏玄関に甘んじることになったのです。国立市役所に行こうとして国立駅で降りると、結構な距離を歩かされます。
by 伊豆之国 (2019-12-03 20:00)
▪︎gop様
久々コメントありがとうございます。山口瞳さん国立在住でしたね。
このあと、谷保在住の友人と飲みましたがチャイナ居酒屋でした。時代ですねぇ。
★nice!いただいた皆様
ありがとうございます
by Cedar (2019-12-03 21:01)
▪︎伊豆之国様
コメントありがとうございます。
by Cedar (2019-12-03 21:17)
はじめまして。む~さんのおでかけ通信からやってきました。架線柱は実に興味深いものがありますね。私は京成線沿線に住んでおりますが、津田沼以遠では、昭和8年の成田花咲町延長時に建てられたと思われる架線柱がたくさん残っています。南武線など買収国電区間にも見られるのですね。こんどゆっくりと見てみたいと思います。貴重なレポートありがとうございました。
by railway (2019-12-08 09:09)
▪️railway様
ご訪問とコメントありがとうございます。
私鉄電車好き→架線柱好きが最近ますます高まっています、
あの憎らしい丸太ん棒に変わらないうちに、精々記録しておこうと思います。拙ブログにも架線柱ネタは多いので、過去記事もご覧ください。
by Cedar (2019-12-08 12:01)