雪の田端の片隅に・・・ [1枚の写真から]
GW中のある日、拙ブログの過去記事にいただいたコメントが気になって、調べてみました。
そのコメントはこれ↑(1)写真はこれ↓(2)です。
昭和30年代末の雪のある日、国電田端駅の上を横切る田端大橋の上から撮った写真です。
問題(?)の貨車は手前のもの、モーターカー右側の車両です。
御寮(料)馬車運搬用というからには、やんごとなき方々用の車両ということですね。
御料車といえば、Cedarはついつい鉄道車両を思い浮かべますが、自動車や馬車も御料車と呼ばれているのは、考えてみれば当たり前ではあります。(3)
御料馬車の範疇にはいろいろあります~
皇室の馬車といえばなんといってもコレ!
パレード中継を観るために、TVが爆発的に売れたんでしたね。(6)
え~要するに、田端の片隅にいつもいたあの車両は、元々はこういう馬車を運ぶために作られた貨車の成れの果てだった、ということらしいのです・・・
(7)撮影者の父にしたら、何気なく雪景色撮っただけでしたが。(8)
アホなレスコメのあと、こりゃブログネタになりそうだと、色々調べてみました。
(以下WIKIより引用)
昭和3年に昭和天皇の即位の礼が行われる際に、用いられる儀典用馬車を輸送するため、同年鉄道省大井工場で27両が製造された。番号はクム1 - クム27である。
妻側に設けられた観音開き式の扉から馬車の搭載を行う仕組みになっていた。
(以上引用)
馬車の仕様やサイズが全て違うため、1馬車に1両ずつ専用車があったらしいです。さすが戦前の話ですね。
なんと模型も出ていたんですね!しかもブラス製Nゲージが!
(9=メーカーのサイトから=画像サイズ小さい!)
クム1の中にはサイドに小さな窓のあるのもあったようです。これは改造・形式変更後の姿。
(10=Wikiから転載)
(11)写真を拡大してよく見ると、2両目のサイドに窓らしきものが見えています。
資料によれば、クム1のうち2両がバラスト列車の電源車に改造され、職用車ヤ50となった、とのことですので、これがその2両なんでしょうか?だとしたら同じものが一緒にいるのはなぜ…
なにはともあれ戦前にはきらびやかな馬車を積んだスペースに、この頃には発電機が積まれていたわけです。
(以下WIKIから引用)
昭和34年頃に、バラスト交換列車の電源車代用としてクム10、クム13が改造された。形式はそのままであったが、昭和40年に実態に合わせて職用車ヤ50形へ形式変更された。この時点で他のクム1形は廃車されていたため、クム1形は形式消滅した。
(以上引用)
奥のはわかりませんが、手前のナンバーは13と読めます。してみるとクム13でしょう。
まだ改番前の昭和30年代の撮影だったんですね。
いやはや、いろんな事が分かりました・・・
(12)
一番奥の車両はコンベアのようなモノがごちゃごちゃ付いています~まさしくバラスト作業車ですね。
資料によれば、この車両はヤ100という形式で『バラストクリーナー』と呼ばれていたものです。
スイス製(メーカーのプレートがデカデカと付けられていた)の独特な外観は、電車ホームからも目を惹く存在で、ガキだったCedarも記憶に残っています。
別の時に電車ホームから撮った保線基地です。京浜東北線の南行ホームに沿って広がっていました。今回の主役(?)元クム1は左奥の方が定位置でした。(12)
これはまた何する車両なのか、Cedarにはさっぱりわかりません。奥の方には茶色に黄帯のDD13の姿も見えています。
それにしても当時の田端操車場は貨物があふれて、活気がありましたね・・・
クム1を撮った日は東京も雪でしたが、冬になると北の国から雪を屋根に載せた貨車が列をなしていました。
(13)
というわけで、田端の1枚写真へのコメントのおかげで、ネタ切れのヘタレブログがまたまた一息つきましたぁ!
最後になりましたが、『元旋盤工』様~まことにありがとうございました。
★あるまーき様
★シュウチャン様
★あおたけ様
★hanamura様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-05-07 08:54)
Cedarさま
これまた貴重な、昭和の田端。
トラック型の移動重機君は、同型車が浜川崎のホームの隅の留置線に
ヨレヨレになって余生を過ごしておりますよ!!
鉄道に関わる事業用車両は、クムといい電関人の鉄道好きの原点です。
良い記事をありがとうございました!!
by 狂電関人@GW明けボケボケ (2014-05-07 13:26)
■狂電関人@GW明けボケボケ様
昭和の田端の風景はCedarの鉄趣味の原点のひとつです。
保線作業なんてのも、ずいぶん様変わりしているんでしょう。スラブ軌道になったらバラスは無くなるしね~。
★hideta-o様
★nd502様
★teftef様
★素人写真様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-05-07 14:11)
朝チョロっと一読した時には、馬車と貨車が?え?なんで?でした。
さすがは、陛下の「アゴ・アシ・アタマ」(食事・移動・宿泊)を司る方々です。
こうした貴重な記録が、ブログを通じて確認され、伝わることに感激しました。
by hanamura (2014-05-07 19:37)
■hanamura様
皇室ってほんとに不思議な『組織』です。
宮内庁にはいまどき『ナントカ太夫』なんていう職制が存在してるんですから。国鉄からJRになって皇室と鉄道がずいぶん疎遠になりましたね。
by Cedar (2014-05-07 20:04)
これと馬を積んだ馬運車を連ねて走ったんでしょうか。
それとも馬は現地(京都)調達?
妻面に観音開きの扉があると聞くと,ナローの方のColorado & Southernにあったボックスカー改造自動車運搬車(auto car)を思い出しちゃうのは,やっぱりメリケン狂いだからだナ…。
そう云や,1輛だけだけどその模型作ったっけ。
by Tad (2014-05-08 03:18)
■Tad様
妻のドアから馬車やクルマを出し入れ、考えることは同じですね。
クム1の場合、馬車入れてドア閉めたあと、補強の筋交いを入れたらしいです。万一の事故に備えたのでしょうか?
★UZ様
★やまびこ3様
★モボ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-05-08 05:35)
貴重なショットですね!
しかし、鉄道の役割がとても広く重要だった
時代を表していますよね。
そして、現代では
鉄道会社自ら、鉄道の価値を
狭めている様に思えてなりません。。。
by FTドルフィン (2014-05-08 06:48)
こんな貨車があったんですね。
知りませんでした。
妻面に扉があると言えば飯田線の救援車ぐらいしか思い出せない電車やなので、興味津々でありました。
それにしても車扱貨物全盛時代の田端は実に楽しい場所でしたね。
私も雪を積んだワムや貨車の間に挟まった転属回送の気動車や客車を見た記憶が趣味の原点の一つだった気がします。
by Chitetsu (2014-05-08 07:00)
一枚の写真から、すごい事実が…。
そんなことがないか、改めて自分のネガを掘り返してみるものの、なーんにも出てこないのです。
そんな羨望の一枚ですね。貴重な写真をありがとうございます。
by のり (2014-05-08 08:34)
■FTドルフィン様
うーん、深いいコメントありがとうございます。
最近の鉄道は『すぐ金になること』しかやらないって感じですね。
■Chitetsu様
田端から山手線の内側に徒歩15分、文京区の外れに我が家がありました。父親と散歩がてらに見た田端界隈の様々な鉄道風景は、間違いなく原点ですね。インタアーバンではないですが…。
■のり様
一杯の珈琲から~って歌がありましたが、まさに一枚の写真から話は広がりました。これもブログの楽しみですね。
by Cedar (2014-05-08 09:06)
★denta60様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-05-09 05:26)
★フジトモ様
★takechan様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-05-09 23:37)
★とーる様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-05-11 19:42)
★gardenwalker様
★Suzuran6様
★SpeedBird様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-05-15 05:58)