エレクトリックでグッドナイト!(インタアーバンは面白い、その11) [外国鉄写真(昔)]
GWは国内旅行が好調のようですが、JRがやる気無いので、寝台列車の凋落が止まらない…。(1)
この図面は昭和42年、581系月光形が世界初の寝台電車として華々しくデビューしたとき、ファン雑誌の紹介記事の片隅に載ってました。1900年初頭に登場し、アメリカ中部オハイオやイリノイ州を走っていた、と書かれていました。
(2・3)。
『じゃあ581系は世界初じゃないじゃん??』とインタアーバンに興味あった鉄ガキCedarは思ったものでした。
内装を見ると、上部に折りたたみベッド、下にはアームチェアという造りで、後の標準となるプルマン寝台車とは異なっています。
定期的に営業運転してなかったとか、いろんな理由でオフィシャルな世界初じゃないということなんでしょうか?
※ホランド社はインタアーバンで特別車サービスをやっていた会社で、一般鉄道のプルマン社にあたります。
それならばと、以下Cedarが知っているインタアーバンのスリーパー(Sleeper)のご紹介です。(電車のレタリングはSleeping Carと書くようです。)
まずは、以前紹介記事に書いたビッグインタアーバンターミナル(※)のあった、インディアナポリスに発着していたこちらはどうでしょうか?
(5) 幕板に並んだ明かり窓がいかにも寝台車って感じです。トレーラーになったのはやはりモーターノイズを避けるためですかね。
INTERSTATE PUBLIC SERVICEから、後のM&Aでインディアナ鉄道となった路線(インディアナポリス?ケンタッキー州ルイビル間=まさにインターステートでしたね)で毎日営業運転されていたようです。
(6)
(6)
蒸気鉄道のスリーパーに負けない重厚な鋼製車~プルマン式寝台の室内もなかなか立派です。
夜のターミナルの大屋根の下から電車に牽かれてゆっくりと発車、夜更けのインディアナポリス市内を行く姿は、想像しただけでワクワクしちゃいます。
(※7)
インタアーバンのスリーパーの中でいちばん有名なのは、セントルイスからペオリアなどに走っていた、イリノイ・トラクション・システム(後のイリノイ・ターミナル)の寝台車でしょう。
記事の最初に登場した電車が売られたのもここだったようです。(9)
真夜中近くに出発し、途中駅までの終電として走ったあと暫く滞泊、翌早朝に始発電車として終点へ向かう、という運用だったようです。夜行で走り抜くほどの距離ではなかったのは、東武の山岳夜行と同じです。
併用軌道を行く寝台電車列車!ラストの展望車もSLEEPING CARのレタリング入りです。
その前に3両もつながったのは窓配置からも寝台車とわかる車体(↓)ですね。
その前に3両もつながったのは窓配置からも寝台車とわかる車体(↓)ですね。
(12)車体塗装変更後の寝台列車~車体のデザインが違いますが、電動車も含めて『ALL BED TRAIN』だそうで・・
OWL(フクロウ)のテールサインを掲げた堂々たる編成がセントルイスのターミナルにつながる地下線に入っていく後ろ姿です。
OWL(フクロウ)のテールサインを掲げた堂々たる編成がセントルイスのターミナルにつながる地下線に入っていく後ろ姿です。
これなら、エレクトリック・スリーパートレイン(?)そのものですが、またもや電動車は先頭だけ。
581系は分散動力編成の寝台電車ってのが世界初、らしい。
581系は分散動力編成の寝台電車ってのが世界初、らしい。
同鉄道のパーラー、オブザベージョンにはブースター(補助動力)的にモーターが載ってたらしいですが、静粛を重んじるスリーパーはどうだったか?調べてないですが。
イリノイ・ターミナルになってからも、寝台サービスは続けられていたようです。
その他には西海岸のオレゴン電気鉄道のポートランド⇆ユージーン間もスリーパーが運転されていたようです。
まあ、昼夜兼用できる特急形、という意味では581系は『世界初』とは言えますが…。
と、ここまでは生きた人が寝ながら旅するための電車。
で、ここからは永久の眠りについてあの世へ旅するための電車です。
Funeral Car=葬式鉄ならぬ棺桶電車。
土葬が一般的なアメリカでは棺桶を墓地まで運ぶのは大仕事で、インタアーバン時代は電車もその任を担って活躍しました。
こちらはオハイオの豪華版Funeral Car。(17)
やはり、日本の霊柩自動車と同じくデコラティブなのが多い?
こちらはオハイオの豪華版Funeral Car。(17)
やはり、日本の霊柩自動車と同じくデコラティブなのが多い?
(22)シカゴのサバーバンのFuneral Carの画像です。
この電車、HOで模型製品化されています(Tad様の情報より)。
市内から郊外のCemeteryへ運行されていました。
ゆりかごから墓場まで、インタアーバンは誰でも乗せます。
と、いうわけでインタアーバンの安眠電車&永眠電車(!)のお話しでした。
ではそろそろ、Good Night!
2014-05-04 01:03
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コメント(32)
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★hanamura様
★あるまーき様
★takechan様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-05-04 09:27)
★モボ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-05-04 11:42)
ブリルの単車は棺桶だけを運ぶ,云わば「casket carrier」ですけど,普通は遺族や参列者も一緒に乗せて墓地まで移動するわけですね。
で,車内で牧師や神父が葬儀を執り行ないながら墓地まで行くのが文字通りのfuneral carで,これを「葬儀車/葬儀電車」,ブリル単車のように遺体を納めた棺桶を運ぶのは「霊柩車/霊柩電車」と,日本語では使い分ける方がいいかなと思ってます。
車内で葬儀をしないのは後者でしょうが,英語ではまとめてfuneral carなんですね。
模型じゃシカゴ,オーロラ&エルジンのHOモデルがSOHOから出てましたけど,もしかしたらコレ唯一のフューネラルカー・モデルかも。
by Tad (2014-05-04 12:54)
■Tad様
なるほど、オハイオのものの内装は荘厳で、あれなら社葬ならぬ車葬も出来たわけですね。
オーロラ&エルジンの模型、さすがに日本で売れたかは謎です。
お仲間のどなたかがお持ちかな?MmさんかMzさんあたりが~。
★ネオ・アッキー様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-05-04 15:41)
★やまびこ3様
★suzuran6様
★hideta-o様
★ひでほ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-05-04 19:08)
アメリカは、凄いですね
なんかこう、すべてのこと
楽しんでいるっていうか
徹底しているっていうか
しかし、インターアーバンは
奥が深い!!
by FTドルフィン (2014-05-04 20:46)
581系が世界初なのは、交直両用、長編成、長距離寝台電車というところでしょうか。
もっとも、走行距離8~9時間というのが基本だったのは、日米相違なしかもしれません。
日本の座席夜行も夜間長時間停車していましたし。
名古屋市の場合、空襲被害者というか、遺体を運んでいたので、葬儀電車でも霊柩車でもなさそうです。
前回の謎コメント、アラフィフにしかわからなかったかもしれません。
60~70年代にTBS系で放送されていた子供向きドラマ「ケンちゃんシリーズ」(洗濯屋ケンちゃんは違うよ)、撮影スタジオが砧のようで、小田急がよく出てきました。
by なにわ (2014-05-04 23:45)
■FTドルフィン様
ほんとにアメリカの電車は玉手箱ですね。まさか!というものがどんどんで出てきます。
自由闊達、駄目なら即撤収!資本主義の国なんですね。
■なにわ様
581のセールスポイントはともかく、やはり世界発の電車寝台はちょっと??
謎コメは苦手です。以後はご勘弁を。
by Cedar (2014-05-05 01:36)
★arail206様
★くらいふ様
★あおたけ様
★ぷっぷく様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-05-05 01:39)
名古屋の話は友達がブログに書いてますので,よろしければご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/syura_muramasa/20140209#p1
戦時中の話ではなく大正~昭和初期に走っていたもののようです。
by Tad (2014-05-05 02:07)
■Tad様
名古屋のは『霊柩車/霊柩電車』ですね。八事には側線や積卸し設備などがあったのでしょうか。情報ありがとうございます。
名古屋は名岐電車が市電線路に乗入れたり、インタアーバン的な運行も見られたし、アメリカの影響うけたかな?
Sohoの模型は拙記事に掲載したものですね。記事訂正します。
by Cedar (2014-05-05 07:47)
★yogawa隼様
★しおつ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-05-05 13:13)
■素人写真様
■denta60様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-05-05 20:18)
★nd502様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-05-05 23:24)
吊り掛けの寝台電車!
乗って見たいです。
きっと嬉しくて寝れないでしょうけど・・!
この電車,583生みの親の星さんも知っていたのでしょうか?
by Chitetsu (2014-05-06 09:04)
■Chitetsu様
>この電車,583生みの親の星さんも知っていたのでしょうか?
ご存じだったようですよ、あまりにも時代が違いすぎて参考にはされてないでしょうが・・・581系は昼行座席+夜行寝台で合理的運用を目指したところに無理がありましたね。あの座席は昼行特急としては陳腐でした。
★tommy88様
★sora_p様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-05-06 12:27)
★SpeedBird様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-05-06 18:27)
Cedarさま
GWはいかがお過ごしでしたか?
電関人は、のんびり半分忙し半分なGWを送りました。
さて本題ですが、実は昭和天皇崩御の際一瞬武蔵野陵まで霊柩列車が
検討たようですが、警備体制の問題でトケになったようですね。
by 狂電関人 (2014-05-06 19:24)
■狂電関人様
GWは近所まわり&カウチポテトでDVD三昧でした。
昭和天皇の霊柩列車が走ったら、沿線撮り鉄出動となったのでしょうか?たわけ者も多いですから。
by Cedar (2014-05-06 22:12)
cedarさま
寝台電車の関連ですが、ほかにも日本の鉄道ファンに世界初、世界一などと誤解されていることがありますね。例えば大阪地下鉄御堂筋線の10連運転が第3軌条方式で世界初とか、阪神ジェットカーの加速度が世界一といった類です。
by hideta-o (2014-05-07 12:53)
■hideta-o様
世界一とか世界初ってそんなに嬉しいのですかね?
技術部門の人には名誉なのでしょうか?
ジェットカーの加速はなかなかですが、シカゴのLには及びませんよね。
by Cedar (2014-05-07 14:01)
cedarさま
日本人は、明治維新の所為かそれとも太平洋戦争の敗戦の所為でしょうか、世界に認められたいという意識が強すぎるように思うのですが、いかがでしょうか。
例えばマスコミやら地方自治体が躍起になったりする「ギネスブック」に挑戦といった企画もそのあらわれように思われます。ギネスブックって、パブでギネスビールを飲んだ酔っ払いが薀蓄を語るための本に過ぎないんですが…。
by hideta-o (2014-05-07 16:07)
■hideta-o様
ギネスブック、世界遺産、世界3大ナントカ~
日本人はこういうのが好きなんですね~明治維新や敗戦とは別な民族性な気もいたします。
ギネスも世界遺産も海外では騒ぎませんね。
by Cedar (2014-05-07 18:03)
いつも楽しく拝見させていただいてます。
21のLA市内線の霊柩車?は、廃止後しばらくの期間、ATSFやUP、SPが走るCajon Passの作業員休憩所?として使われ、その後、オレンジエンパイアーレイルミュージアムに引き取られ、今はそこの車庫で復元された姿で保管されてます。車体側面に棺桶(上からみて六角形の、ナイトメーヤーに出てくるような)を入れたハッチを開いた状態で展示されてます。客室は豪華なラウンジ仕様になっていて、この車両が鉄道会社の社長だったかのお偉いさんのために特製されたことを示してます。
LA郊外のペリスへ行く機会があったらぜひ立ち寄ってみるといいですよ。車庫は平日は閉まっていることが多いようですが、スタッフに声をかければ開けてくれます。同じ車庫(シェッド)には京都のN電も保管されてます。路面電車の作業車(クレーン車他)もあり、インターアーバンやトロリー好きなら一日いても見飽きることはないと思いますよ。入場料無料というのもアメリカ的でした。
by AOK Hiro (2014-05-08 20:27)
■AOK Hiro様
ご訪問とコメントありがとうございます。
LAの霊柩車がOERMに保管されているのは知っていました。
ずいぶん前に一度だけ行きましたが、最近は敷地も車両も拡大してるようですから、再訪したいものです。ただLAからは遠いですね!
by Cedar (2014-05-08 21:57)
今回も沢山のユニークなインターアーバン車が登場して楽しまさせていただきました。上部R付の窓が並ぶ姿は圧巻です。
寝台車や霊柩車として使用された車両はその後は一般の座席車に改造されたのでしょうか。もっともそれを待たずに路線が廃止されてしまったケースも多いでしょうが。
国鉄の月光型寝台電車は、北陸本線では普通列車用に改造されてから活躍した期間のほうが長かったですね。
by 京葉帝都 (2014-05-09 10:53)
■京葉帝都様
インタアーバンは鉄道のサービスではパイオニアだったと痛感します。コンテナやピギーパックもインタアーバンが最初ですから。
寝台車は旅客車よりも事業用に改造されたものが多いようです。
by Cedar (2014-05-09 16:42)
> LA市内線
って誤解されそうな云い方ですね。いくつかの路線をあって,そのうちの一つである市内線みたいに聞こえちゃう。
Los Angeles Railway(LARy)は,云うまでもなくロサンジェルス市内だけに路線を持っていた単独のStreet Car鉄道ですから,縮めても「LA鉄道」でしょうか。
ヘンリィ・ハンティントンは,LARy経営から手を引くにあたってロサンジェルス市に買取りを持ちかけたけど,市では買わな(買えな)かった。買っていたら文字通りのロス市電/LA市電になったワケですが…。
戦時中の,造船所のあったターミナル/アイランドへの人員輸送が急増した時だけが黒字だったパシフィック・エレクトリックと違って,LARyはずっと収益を上げていた優良鉄道でしたから市も買っていたらよかったのに…と,後になってそう思っても詮無い話ですね。
by NO NAME (2014-05-10 12:30)
あらら,また署名せずにコメントしちゃいました。失礼!
で,LARyのFuneral carについて少々。
オレンジ・エンパイア鉄道博物館にあるLARyのFuneral car“Descanso”(スペイン語の平和/休息)は,1909年に自社工場で製造された「葬儀電車」で,当時は“Paraiso”(スペイン語のパラダイス)と命名されていた。
1911年に2輛目の葬儀電車(1輛目より4フィート強長い)が同じ工場で製造され,これに“Descanso”の名が与えられた。しかし,こちらは1921年に自動車の霊柩車が一般的になって使われることがなくなったので,納棺室と棺の出し入れをするドアを撤去,転換シートに変えて「デラックスカー」として客用電車としたが,これが葬儀電車の改造であることが知られてしまうと乗りたがる人がいなくなっていまった。そこで,ダブルルーフ屋根をシングルルーフに,アーチだった側窓を普通の四角い二段窓に…などの再改造で葬儀電車の印象を払拭させ,その後は通常運行に使われた。
こちらが普通電車化された段階で,初代葬儀電車「パライソ」を「デスカンソ」(二代目)に改名したが,葬儀電車として使われたのは1924年までだろうと云われている。ちなみにLARyでこの2輛だけがダブルルーフの車輛であった。
1939年に電装解除された二代目デスカンソは翌40年,ロサンジェルスを中心に活動していた鉄道ファンのクラブ“Railroad Boosters”(後にPacific Railroad Societyと改称)に引き渡された。クラブはこれをカホン・パスのUPと共用しているサンタフェ本線脇に持っていって,短い線路を敷いた上に鎮座,クラブハウスとした。内部には寝台,机,ストーヴ,冷蔵庫などが設置され,クラブのメンバーはここでトレイン・ウォッチングなどを楽しんだ。
1967年にSPのバイパスラインが作られることになり,それがクラブハウス・デスカンソのすぐそばを通ることになったので,ペリスのオレンジ・エンパイアに移され現在に至る。
長くなりましたが,そんな話があったので記した次第です。
by Tad (2014-05-10 13:42)
■Tad様
ついつい簡単に書いてしまう悪い癖が~。
LARy=LAの市内電車の会社ってのは要説明でしたね。
明るいカリフォルニアといえど、やはり葬儀電車改造車は嫌われるんですね、元葬儀電車がクラブハウスになるというのは鉄道ファンならでは?
楽しい話題ありがとうございました。
by Cedar (2014-05-10 17:07)
ロハでくれたから,じゃないですかね。
乗客としては亡骸が運ばれたのに乗りたくないってことだと思いますねェ。
霊柩自動車改造のキャンピングカーが格安で売りに出ても買い手がつくかどうか…ってのと同じような話かな。
by Tad (2014-05-10 18:09)
■Tad様
デスよね~!
でも霊柩車改造キャンピングカーって、見た目のインパクトは凄そうですわ!
by Cedar (2014-05-10 20:05)