昭和39年、王子の都電 [都電のいる風景]
今日は久々の1枚写真ネタです。
これが出てくるとネタ切れ、ってのは皆様お見通し~(大汗!)
なにしろ暑くって~
(1)
言い訳はさておき、今日の画像は今の荒川線、撮影当時は27番・32番の梶原~栄町間走行中の車内からの撮影です。王子電気軌道の面影を残す専用軌道区間。怪しげなカテナリーやへろへろした線路が今とは大違いですね。
当時は<あらかわせん>などとは呼ばれず、うちの父も含め<王電>と呼ぶ人も多かった頃です。
撮影は昭和39年~40年辺りと思います=時期のヒントになる電車が写っているので拡大してみました。
(2)
線路に比べても幅の狭い丸っこい車体は、昭和38年に廃止された都電唯一の1067mm線、杉並線生まれの2500形です。昭和39年に荒川車庫で復活したものの、2150mmという車体幅は専用軌道区間での乗り降りに不安があるため、ほどなく早稲田車庫に転属になったのでした。おりしも栄町電停に停車中ですが、他形式と比べてホームと車体の隙間が大きかったのでしょう。
線路の左右には、いかにも昭和らしい情景が広がっていました。
(3)まずは右側。線路と側道の境が曖昧なのは当時は普通でした、線路脇に積み上げられたガラクタ?や堂々と停められたオート3輪の姿も懐かしいです。(4)
左側は民家の裏側が迫っていました。狭い道に面して『お菓子』と縦書きの看板を掲げた店は、たばこやも兼ねていて、看板娘ならぬおばあさんが、居眠りしながら店番している光景が目に浮かぶようです。
ここでご注目は手前の架線柱に掲げられた『中山式快癒器』の電柱広告ですね。
セルフマッサージ器のロングセラーは、こういうものでした~皆様ご存知でしょうか?(5)
愛用者カードにあるように、メーカー(中山式産業株式会社!)がこの沿線にあったのですね。
しつこく拡大写真です。小台から荒川車庫前を経て栄町までは、この線には珍しい直線区間、高圧線併設の架線鉄柱が高速電車風の雰囲気を醸し出していました、電車の性能さえ許せば100kmで走れそうな感じでしたね。(6)
正面に見えるのは、江戸時代からの桜の名所飛鳥山です。当初の路線計画では、飛鳥山にトンネルを掘って巣鴨方面とつなぐ予定だったとか・・・この辺りから急勾配の高架となって国鉄を乗り越し、トンネルを抜けて山の向こうへ~
さすがにこのプランは無理が多く、併用軌道で飛鳥山を迂回する今のルートに落ち着いたようです。
(7)
昨年撮影した栄町付近です。飛鳥山の緑は新幹線の高架にさえぎられ、高圧線の鉄柱は上半分がブッタ切れていました。
線路と架線が新幹線のように立派になっていたのはご覧の通りで、ホントに100kmで走れそうです!
(8)
周囲の建物は面影をまったく残していませんでしたが、道筋は殆ど当時のままでした。
中山式快癒器の広告は~何処にもありませんでしたね。
おはようございます。
こう暑くては、なぁんにもする気がおきませんねぇ…。勤務先近くの枚方では、昨日で19日連続の猛暑日だそうです。
貴重な写真ありがとうございます。
オリンピックの頃ですね。まだまだ日本人の心が豊かだった頃ですね。
今、出勤途中です。京阪8000系の車内にいます。
by のり (2013-08-23 07:06)
■のり様
別に昔が良いばかりとは思いませんが、当時の写真を見ると街が人で出来ていたなあ、と感じます。今はシステムやハードに人間が振り回されてる気がします。
by Cedar (2013-08-23 08:29)
中山式・・・本家にありました。減るモンでもないのに、興味を示すと、本家のパアちゃんが怒ったっけ。(前回は存在しません。やっと生まれました。)
by hanamura (2013-08-23 08:29)
■hanamura様
本家ってスゴイですね。
中山式は今も売られていて、Amazonにもあるくらい!びっくりしました。ウチに撮影当時あったのはボディが木で出来てたですね。
(東京オリンピック世代でらっしやるわけですね。)
by Cedar (2013-08-23 08:38)
1973年頃、交通局の車両担当の人が、荒川線のレールは新幹線のお古を使っていると言っていました。それで軌道はえらく立派に見えるんだと思います。
by EF510-230 (2013-08-23 09:45)
■あおたけ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-08-23 09:50)
■EF510-230様
当時だと東海道新幹線のお古ですね。
地方私鉄が国鉄払い下げのレールを使ってたのはよくありました。
今なら、猪瀬くんのプライドが許さない?
by Cedar (2013-08-23 09:56)
丁度この頃32番で通学していましたので、2500形にも遭遇しました。
確かに、車体幅が他車に比べて狭いな~っと言う記憶が...
あと車体側面にリブが有ったのと、台車の枕バネが板バネではなくコイルだった様な
気がします(^^)
by 常武鉄道 (2013-08-23 15:08)
■常武鉄道様
2500は当時のバスの車体構造を取り入れたので、リベットやリブが独特でした。枕バネはコイルバネにゴムを巻いたエリゴバネだったようです。
★シュウチャン様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-08-23 18:07)
★フジトモ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-08-23 21:59)
★ぷっぷく様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-08-24 04:39)
★やまびこ3様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-08-24 12:26)
貴重なお写真、ありがとうございます。
「中山式快癒器」、初めて聞きました・・・。
by 京阪快急3000 (2013-08-25 05:17)
■京阪快急3000様
お若い貴兄には、肩こりなどはまだまだ無縁ですかね(笑)。
中山式は関東ローカルなのかも?
小さな工場が多かった荒川線沿線らしい製品ですね。
★UZ様
★takechan様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-08-25 08:05)
鉄柱はもっと高かったんですね!!
線路の規格、立派すぎますよね
昔の方が身近な感じでいいなぁ〜・・・(笑
by FTドルフィン (2013-08-26 06:45)
■FTドルフィン様
バリアフリーとか叫ばれる以前から、バリアなんかなく気楽な感じでした。今でもJRなんかに比べたら気楽な乗り物ですが、あとは座席が増えないといけません。
by Cedar (2013-08-26 09:52)
★suzuran6様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-08-26 09:55)
Cedarさま
流石に梶原~栄町は隔世の感は否めないですね。
王電時代のトラスは高かったんですね!
都電撮影も秋の陣をそろそろ構想中です。
by 狂電関人 (2013-08-26 20:20)
■狂電関人様
都電ネタに即レスありがとうございます。
実は高圧線ネタも例のFBで、と思っていたのですが ~
秋の陣の打合せしましょうか?
by Cedar (2013-08-27 00:24)