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春の遠賀川(昭和54年5月) [昔鉄スナップ]

今を去ること34年前のちょうど今頃=GW中の或る日のことでした。s5405九州04.JPG(1)
5月にしてはどんよりとした空の下。長い鉄橋を行くちっぽけな電車を眺めていました。
ここは筑豊電鉄の終点筑豊直方近く、遠賀川にかかる鉄橋です。

 

川幅の広い河原を越えていくプレートガーダーの連なり・・・
架線柱のスパンも長く本格的な高速電車仕様の鉄橋と、そこを渡る路面形電車というアンバランスが好きで、九州に行くとよく足を向けたのでした。
~いつもはごみごみギリギリが好きなCedarなのに、何故かここは好き~やはり<アンバランス>というのがキーワード!だったのですね。

この日はあいにくの曇りでしたが、この旅に同行した母と祖母(=というのはウソで、2人の九州行きの付き添い名目で、鉄道目当てにくっついてきた、ってのが正解)が山口県の秋芳台観光に出掛けた隙に、丸一日の鉄三昧としたわけです。早朝から戸畑周辺で北九州線、そのあと筑豊電鉄、午後遅くは西鉄大牟田線と、なかなかの強行軍でした。

(2・3)
s5405九州03.JPGs5405九州06.JPG
しかし、こんなサイズとアングルで何カット撮っても代わり映えしませんねえ=せっかく九州まで来て何やってたやら・・・もっとアップとか撮りゃあいいのに・・・

その時もそう思ったのでしょう。諸先輩に倣って<水鏡>にトライしましたが、空のどんより具合やらフレーミングの拙さやらで、結果はこんなことに~慣れない事はするもんじゃあアリマセン。s5405九州05.JPG(4)

鉄橋そのものに加えて、背景の山並みも路面形が走るに相応しくない感じです~後年にアメリカのLRTに乗る機会が何度かありましたが、市街地を外れると沿線の雰囲気は筑鉄に似てましたね。

s5405九州07.JPG(5)
当時はまだ北九州線と線路がつながっていて、下半身がオレンジに変わり、締まりのなくなったツーマン連接車が走っていました。
方向幕が小さくて見にくいとか~この電車も砂津行きだったと思いますがさっぱり見えません、吊り掛け式に止まっているとかいろいろ欠点はあるものの、日本路面電車の傑作のひとつ西鉄連接車シリーズ~筑豊電鉄が無かったら生き延びることなく、とっくに姿を消していたでしょうね。

s5405九州08.JPG(6)
当時走り始めたばかりの筑鉄オリジナル(といってもご承知の通り西鉄から転属ですが)3車体連接車が川を渡ってきました。3車体連接を示すHMを掲げ、当時大牟田線にデビューした2000系譲りの塗装も誇らしげでしたが、方向幕の大きさはそのままでした。

高速電車仕様の架線にパンタが精一杯の背伸び・・・このころはさすがに冷房はついていませんでした。
s5405九州09.JPG(7)
鉄橋を渡リ切ると、筑豊直方に到着。
この3連接車は、元来2車体の編成にドアつきの車体(一説には廃車になった連接車の車体流用→改造とか)挿入したものです。西鉄時代の3連接車は中間車体ドア無しでした。

s5405九州02.JPG(8)
高架の筑豊直方駅に進入する3連接車~短く低いホームが立派な高架線の上にあるのが印象的でした。
当初計画では直方の市街地を高架で抜け、背後の山に取りつき、遠く福岡まで延びる予定だった
・・・とは言いがたく、まあ夢のレベルだったようです。
北九州線折尾の赤煉瓦高架といい、直方といい、北九州と福岡を結ぶインタアーバンは悉く夢と消えましたね。

福岡までつながっていたら、どんな電車が走ったのでしょうか?新幹線の小倉⇔博多の盛況ぶりを見ると、実現して欲しかったものですが、今や新幹線や高速バスとの競争で苦境にたっていたかも・・・

ネガの最後の駒には、黒崎駅前の西鉄北九州線が・・600の折尾行きです。s5405九州01.JPG(9)

この後は、黒崎から鹿児島本線で博多へ移動しました。その日の午後の出来事は次回に・・・

 

 

 


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EF510-230

福岡まで行けなかったのは途中にお山が立ちはだかっていたからでしょうか?福岡経由大牟田まで行っていたら当然クロスシート車ですよね。

by EF510-230 (2013-05-02 10:20) 

狂電関人

Cedarさま

筑豊電鉄、懐かしいです。
といっても北九州はもはや他鉄の距離で、北方線はじめ全て見る鉄でした。
折角予備校は北九州は黒崎まで通っていたくせに浪人中は親との約束で
ほぼ100%非鉄のまじめな予備校生でした(笑)
電関人の記憶の中には、福岡市内線で働く連接車や張り上げ屋根の
確か60形だったような・・・が闊歩していました。
おっしゃるように、北九州線がオレンジになった時にはちょっと残念で、
でもそのあとの赤茶にクリームラインよりはましでした!
by 狂電関人 (2013-05-02 11:36) 

なにわ

福岡の半鋼製連接車にはカルダンドライブ車がいたのだけれど、筑豊電鉄=北九州市内線側が面倒臭がったんでしょうか。
広電も吊りかけばかり購入しましたし、今の交流モーター車が90%といわれる宮島線とは隔世の感がありますが。
by なにわ (2013-05-02 18:47) 

なにわ

福岡の半鋼製連接車にはカルダンドライブ車がいたのだけれど、筑豊電鉄=北九州市内線側が面倒臭がったんでしょうか。
新しい車体に載せ替えるのはなお面倒でしょうし。
広電も吊りかけばかり購入しましたし、今の交流モーター車が90%といわれる宮島線とは隔世の感がありますが。
by なにわ (2013-05-02 18:50) 

伊豆之国

北九州は、二昔余り前の島原への旅の道中で門司港駅とその周りをちょこっと立ち寄っただけで、北九州市内線はその頃は既に黒崎と折尾の間だけになっていて、筑豊電鉄ともども見ることもありませんでした。
西鉄(・筑鉄)には、確かに北九州と福岡を筑豊回りで結ぶ「夢の路線」の構想はあったようですが、炭鉱の相次ぐ閉山で筑豊地域の人口が激減したことに加え、国鉄篠栗線が延長されて筑豊線に繋がり、現在の「福北ゆたか線」のルートが出来上がったため、相手がディーゼルとはいえスピードでも路面電車タイプでは到底太刀打ちできず、直方でストップしたきり早々と「夢」は諦めたようです…。
直方といえば、先頃惜しまれつつ引退した「平成の名大関」魁皇、現・浅香山親方。現役時代、取り組みに勝つと盛大に花火が上がったそうですが、勤め帰りの電車の中から花火を眺めたという人も大勢いたのでしょうか。
by 伊豆之国 (2013-05-02 20:02) 

のり

昭和55年夏、なけなしのお金をはたいて北九州一周旅行を敢行いたしました。しかし、筑豊電鉄は立ち寄らず仕舞いでした。恐らくルートが中途半端になってしまうために敬遠したのだと思います。今から思うと、本当に残念なことをしました。
目的地まで到達せず、途中で終わってしまった鉄道って、随分ありますね。
筑豊電鉄も、西鉄ばりの高速電車が走っていたら、少し状況が変わっていたのかも知れません。炭鉱の斜陽も大きな痛手だったと思います。
by のり (2013-05-03 08:46) 

Cedar

■EF510-230様
八木山峠を篠栗線とトンネル共用して越えるという話があったとか?
威張り散らす国鉄がそんなこと許すはずもないですね。
■狂電関人様
北九州線も他鉄とは、なかなか頑なですね(笑)。
筑豊電鉄はLRTの走りといえる電車、頑張って欲しいものです。
■なにわ
カルダンドライブはなぜか路面電車では嫌われましたね、筑鉄は最高速度も高く吊り掛けサウンドを楽しめました。
■伊豆之国様
かっては門司から直方まで繋がっていた西鉄・筑鉄ネットワークが消滅したのは残念です、八幡、小倉まで直行できたのは便利でした。
■のり様
福岡と北九州のインタアーバン構想は北九州線の前身九軌、宮地嶽線の前身博多湾鉄道、そして筑豊電鉄と、全て挫折しました。
どれかひとつ実現して欲しかったですね。

★nexus6様
★モボ様
★あるまーき様
★いっぷく様
★フジトモ様
★FTドルフィン様
nice!ありがとうございます

by Cedar (2013-05-03 09:23) 

ナツパパ

そうでした、福岡そして北九州は路面電車王国でしたね。
何度かお邪魔しましたが、北九州は長すぎてどうも的が絞れず...
今思うと、宝の山から手ぶらで帰ってきたような...惜しいことしました。
by ナツパパ (2013-05-03 10:18) 

はーさん

1435mmの高速電鉄なみの線路を走る釣りかけの3連接車、70km/hで突っ走るときの釣り掛けの音は素晴らしいですよ!
連接車でもほぼ同じ時期に作った福岡市内線用はカルダンでしたが、北九州線は釣りかけでした。カルダンでは北九州線にある勾配は登れないとか??
九州電軌軌道の北九州線と福博電車の福岡市内線では西鉄になってからもナンバーの振り方まで違っておりました。
創業当初よりボギー車だった九州電軌軌道と木造単車がほとんどであった福博電車。西鉄になって、福岡市内線の単車を淘汰するため、北九州線の創業当初の木造ボギー車を福岡に移籍させ100形になりました。
この電車、明治の香りする段落形ダブルルーフのものがあり、当時のファンには人気がありました。長崎電軌の168でしたっけ?動態保存のクラシック電車がありますが、これは100形を福岡から譲受されたものです。九州電軌軌道は西鉄として合併したときの存続会社であり、当時は大牟田線より、儲かっていたのでしょうね。今では筑豊電鉄に名残りを残すだけですが!
by はーさん (2013-05-03 11:13) 

Cedar

■ナツパパ様
北九州線と筑鉄のネットワークは確かに長大過ぎて、地元鉄でないと的は絞りにくいですね。、門司から折尾までは京浜間くらいはあったわけで。
■はーさん様
筑鉄で吊り掛けサウンド、私も記憶あります。九軌がインタアーバン的な路線でありながら、連結や急行運転しなかったのは残念でした。

★yogawa隼様
★hanamura様
nice!ありがとうございます

by Cedar (2013-05-03 22:05) 

Cedar

★ぷっぷく様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-05-05 07:30) 

京葉帝都

複線の鉄橋と高架線・高架駅、低いホーム、そして線形の良いところが、この路線のインターアーバンらしいところなのでしょう。実際に乗って確かめたいです。
by 京葉帝都 (2013-05-05 09:57) 

Cedar

■京葉帝都様
筑鉄もかれこれ10年は乗っていませんが、皆様のブログで最近の姿は拝見しています。すべて新車になるのは時間がかかりそうですから、しばらくは吊り掛け路面形の高速運転が楽しめそうですね。

by Cedar (2013-05-05 17:07) 

Cedar

★ひでほ様
★パルの大冒険様
nice!ありがとうございます


by Cedar (2013-05-05 23:15) 

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