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静鉄・昭和40年(最終回~狐ヶ崎にて) [昔鉄スナップ]

昭和40年3月静鉄画像~最終回は、この写真から~新清水から2つ目の駅、東海道線との併走区間の終わる手前、狐ヶ崎の情景です。kitunegasaki S40 02R.jpg(1) 銀行の広告看板やら、注意書きやらでにぎやかな構内踏切の向こうに、新清水行きの電車がやってきました。

(2)すこし寄ってみたら、電車のNoが19とわかりました。19+20の旧鶴見臨港コンビや、東急からの電車など、当時の静鉄には関東私鉄のセコハン(死語ですか?)がオリジナルの電車に混じって活躍していました。電車の左にスプリングポイントの標識が見え架線も分岐してますね狐ヶ崎01RR.jpg~当時は側線があったのです。ところが清水市内線廃止のきっかけになったいわゆる七夕水害で土砂に埋まってしまい、そのまま消えてしまったようです。

今はご多分にもれず閉園してしまいましたが、当時は狐ヶ崎ヤングランド※という静鉄経営の遊園がこの駅近くにあって、この日も電車から降りていく家族連れの姿もちらほら見かけたような・・・でも自社系行楽地の最寄り駅なのに急行通過・・・

東京から来た怪しい親子連れ(!)は遊園地には向かわず、奥に見えている太鼓橋のような跨線橋を目指しました。

sizutetus41-23.jpg(3)そこで撮ったのが前々回ご覧戴いたこのショットだったわけです。いかにも大幹線らしい東海道本線の立派な軌道と較べると、地方私鉄らしい味のある線路・・・カーブも結構きついですね。

地方都市にもかかわらず、国鉄・私鉄ともに複線で競争していたのは珍しいですね。他に思い当たるのは広電と山陽本線くらいでしょうか?静鉄も最高85kmで走る急行を運転して、長距離列車メインの国鉄といい勝負をしていた時代でした。まさか国鉄時代の末期に10分ヘッドで勝負を挑まれるとは思ってもいなかったでしょうね。

sizutetu003R.jpg(4)             自社長沼工場でつくったスマートな車体の100形が新静岡に向かってカーブに消えていきます、今見るとなかなかファン好みのデザインですね。なんだか3線式のOゲージの電車みたいなです。

(5)同じく100形の新清水行き、同じ形式でもそれこそ編成ごとに微妙に違うのが自社工場の手造り(?)ならではの面白さです~湘南形21形と同じですね。狐ヶ崎02RR.jpg

割と有名な話ですが、いまや民謡だと思われている<ちゃっきり節>はこの遊園地のPRソングとして出来たものなんです。当時の静岡電鉄が北原白秋(!)に作詞を依頼したのだとか。

白秋センセイ、芸者遊びに明け暮れてなかなか詞が出来ず、静鉄側がずいぶんイライラしたとか~


 

ついでに(国鉄ファンの皆さんゴメンナサイ)東海道線のほうも撮っていました。

(6・7)165系(153系と混結か?)の急行~当時ですから<東海>と・・・sizutetu001R.jpgsizutetu004R.jpg             EF58に牽かれたひときわ長い編成~おそらく九州まで直通する<桜島・高千穂>だと思います。この時から5年後の3月、鉄友人3人と九州撮影に出かけたときに、一昼夜乗った思い出の列車であります。

それにしても、日本を代表する幹線ですら、架線柱が木柱とは・・・今の丸太みたいなダサい鉄柱のよりは数倍ましですけど・・・沼津~浜松間の電化は金とも時間も無かった(部内でバ●ヤ電化といわれるほど)のでこうなったらしいですね。

kitunegasaki S40 01RR.jpg(8)静鉄普通電車と国鉄貨物列車の併走シーン=(5)のオリジナル画像はこうでした。貨物の先頭に立つのはEF60でしょうかELの後ろには前年に開通した<夢の超特急!>=新幹線の線路が見えています。

このときの静鉄は、私にとって始めての関東エリア外(古い人は箱根の山を越えた~とか言いたがる~笑)の撮影でしたが、日帰りで楽しめたのはやはり新幹線のおかげでしょう。

ということで、ラストカットは茶畑の向こうを走り去っていく夢の超特急=新幹線0系です。このときが初乗りでしたが、とてもワクワクした記憶があります~

 (9)sizutetu002R.jpg

だらだらと続けてしまった静鉄画像、これで一応仕舞いと致します。


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京阪快急3000

こんばんは。

「昭和40年の静鉄めぐり」、じっくりと楽しませてもらいました。

Cedar様独特の展開、ユニークだと思いました。

最後が今は無き(しかし、私達の心の間では、今も生き続けている(笑))「0系新幹線」で締めたところが「ナイス!」だと思いました。
by 京阪快急3000 (2012-04-05 21:13) 

Cedar

■京阪快急3000様
楽しんでいただけたらよかったです。
この撮影に行ったときに新幹線にははじめて乗ったのです。
ほぼ半世紀前のことなのに記憶は鮮明、最近の事は覚えないのに~完全な老化現象ですね(笑)
by Cedar (2012-04-05 22:22) 

U

153系当時の「東海」はヘッドマークが付いていたと記憶しますが、165系になってからは付いてなかったのですかね。
シズテツもいろんな顔があったのですね。今のバックミラー付き東急スタイル電車からは想像もつかなくて。
ところでこの並走区間の脇にある1軒の家に大きく「めんぱ」とひらがなで書いてあるのですが、地元のちょっとした特産品だそうです。
0系も100系も、300系もなくなって、時代は変わりますね。でも、ここの景色は何だか変わっていないような気がします。
by U (2012-04-05 22:39) 

利きゅう

この時代の静岡鉄道って、書籍でもあまり紹介されていないので楽しく拝見させていただきました。
東急から供出された元池上車や、旧鶴臨車もこの後100形や300形に似た車体に更新されてしまうんですよね・・・。

静鉄オリジナルの100形300形たちも後年、熊本電鉄や日立電鉄に譲渡されるわけですが。

Cedar様が訪れられた、昭和40年は新旧塗装が入り乱れ清水線が一番バラエティに富んだ時代だったのですね!

by 利きゅう (2012-04-06 00:27) 

サットン

JRの攻勢に晒される静鉄ですが、最近は静岡ターミナルの再開発で巻き返しに出てるとか。注目ですね。
車両面ではポスト1000系が気になります。やはり東急あたりのセコハンで賄うんでしょうか。
by サットン (2012-04-06 10:24) 

maipenrai

国鉄が出てきてようやく反応できました。
 静鉄シリーズ、圧巻でした。電車音痴の当方は「いいなぁ、いいなぁ~」と指をくわえてROM専でしたが…。
 バ●ヤ電化(パタヤ電化、に見えた)という言葉は初めて知りました。でもファンとしては、鉄柱(当然昔の四角柱)>木柱>>コンクリ柱>>>>>今の丸太鉄柱、って感じでしょうか。
by maipenrai (2012-04-06 17:59) 

む〜さん

懐かしい静鉄の姿・・・・たっぷり楽しませて頂きました。この時期、静岡通いは専ら、駿遠線。静岡~清水は手抜きになって居りましたので、嬉しく拝見した次第です。
現在は、1000+1500に統一されて居りますが、最近、急行運転も復活したようで、喜んで居ります。
今回のシリーズを拝見し、そろそろ重い腰を持ち上げて、一日、「静鉄漬け」になろうかなあと思っています。
by む〜さん (2012-04-07 00:03) 

EF510-230

この区間は昔国鉄が事故で不通になったとき、静鉄が国鉄に自分の線路の提供を申し出、一時的に東海道線の列車が走ったことがあることで有名ですね。
by EF510-230 (2012-04-07 00:17) 

Cedar

■U様
165系は身延線直通の急行『富士川』併結車かも知れません。
『東海』のヘッドマークは随分前に消えてましたね。
■利きゅう様
この頃の静鉄は長沼工場フル操業で体質改善真っ最中でした。
折角培った車両技術が、ステンレス1000登場で終わったのは残念でした。西武の例もあるように、アルミやステンレスはメーカーしか作れないのですね。
■サットン様
新静岡ターミナル、LRT計画、いろいろ注目です。
1000の後釜が東急車両~じゃない、総合車両製造の走るんですにならないと良いですが。
■maipenrai様
パタヤは非電化です(笑)
父と出掛けたこの後も、何度か行った静鉄。ステンレス車になって魅力80%減でした。
by Cedar (2012-04-07 00:21) 

Cedar

■む~さん様
急行復活はニュースですね!長らく使われなかった運動場前の待避線も使われるのでしょうか。この時は21形の急行が100形の普通を抜くのに興奮したものです。
■EF510-230様
その話は聞いた気がしますが、写真でもわかる軌道のレベル差が気になります。国鉄の軸重に耐えられたのですかね?
by Cedar (2012-04-07 00:31) 

狂電関人

Cedarさま

静鉄、堪能させていただきました。
旧鶴見臨港の車両も渋くて電関人好みです(笑)!
茶坊主100系も微妙に違いがあることが判りました。
by 狂電関人 (2012-04-07 11:12) 

Cedar

■狂電関人様
ありがとうございます。
連絡ですが、月曜日に元同僚鉄のU君とランチします。鉄分会日程話します。この記事にもレスしてるんですよ。
by Cedar (2012-04-07 11:18) 

伊豆之国

久しぶりの顔見世です。

静岡県にルーツがある割には、静岡市(とその周辺)には大して縁がなく、新幹線で素通りするのがほとんどで、足を運んだのは覚えているのはこれまで3度くらい。最初は昭和40年代の半ばごろ。日本平、久能山、登呂遺跡を回り、御前崎にも行っています(どっちが先だったのか記憶は曖昧ですが)。すでに駿遠線はなく(大井川までは残っていたかも)、残っていた静岡清水線(清水市内線も)はなぜかJTB、じゃなくて交通公社の時刻表から無視されていて、バスで通って初めてその存在を知ったのでした。その当時、渋谷駅から「東名急行」という私鉄系の合同出資による高速バスがあり、静岡のターミナルは国鉄静岡駅でなくて新静岡駅になっていました(浜松は遠鉄浜松駅<現・遠州病院>、名古屋は名鉄バスターミナル)。このときはその高速バスに乗った記憶があり、世田谷に住んでいたので東京駅発着の国鉄バスに比べて便利なはずだったのですが、国鉄バスに比べ利用が思わしくなかったようで、結局数年で運行廃止になってしまいました。
最近では7-8年前だったか、浜名湖の花博と浜松の大凧揚げを見た帰り、鈍行乗り継ぎで静岡駅近くのホテルに一泊、翌日に駿府城跡を見た後、すっかり車両のバラエーティがなくなった「静鉄」に乗って新清水まで行き、次郎長の生家、三保の松原を見てきたのですが、暴風雨が激しくなって傘も飛ばされるほど。何にも景色も見られずじまいでした。その帰りはタクシーを呼んで清水駅まで行くことになり、その車窓から清水市内線と旧国鉄清水港線のものらしき車両を見たのですが、写真には撮れませんでした。
by 伊豆之国 (2012-04-07 15:02) 

なにわ

この165系、「東海」でもありませんし、「なにわ」系列でもありません。
1965年3月だと、どちらもヘッドマークを装備しております。
大垣、宮原ともにクハ165が配置されるのは1968年10月直前ですので、田町の団体臨時用165系での団体列車、もしくは修学旅行電車のスジを使った臨時急行電車の可能性が高そうです。

その下の58の急行列車、まだ「霧島」か「高千穂」の単独運転、もしくは「雲仙・西海」と思われます。宮原から動かなかった146号機が牽引してますから・・・・さあ、何でしょうか。

by なにわ (2012-04-07 15:04) 

のり

静鉄のお話、楽しませていただきました。
国鉄と並行する線路の、少々情けないレールと枕木・・・。味がありますねぇ。素敵です。
by のり (2012-04-07 21:06) 

Cedar

■伊豆之国様
静鉄には何度も行きましたが静岡の著名観光地はどこも行っていません~清水港線は行ったことがありますが・・・

■なにわ様
国鉄についてはついつい適当な記述になってしまい申し訳ありません~。毎回のご教授、まことに恐縮です。
by Cedar (2012-04-07 21:07) 

Cedar

■のり様
ありがとうございます。最近は地方私鉄でも線路は結構立派です。静鉄もしっかりコンクリート枕木だったりして(未確認です)?

★UZ様
★しまりす様
nice!ありがとうございます


by Cedar (2012-04-08 00:02) 

gardenwalker

こんばんは
架線柱が木で出来ているところがまた
時代を感じますね~
私が赤ん坊の頃の写真を見ると
こんな景色があったりします
by gardenwalker (2012-04-08 21:07) 

Cedar

■gardenwalker様
日本一の幹線東海道本線にも木の架線柱、今のごっついだけの物より好きです。沼津~浜松間の電化は突貫工事で金も時間も無かった所為で、木柱が多かったとか?
by Cedar (2012-04-08 21:56) 

Cedar

★あおたけ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-04-11 23:41) 

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