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インタアーバンの面影を追って(昭和46年京急八つ山橋) [昔鉄写真]

日本における都市間電車(インタアーバン)は関西に発達しましたが、関東で唯一のインタアーバンと言えるのが京急の前身、京濱電車でした~昭和40年代は急速にその面影が消えていった頃でしたが、起点品川からすぐの八つ山橋の付近は、インタアーバンのイメージ※が強く残っていた場所でした。昭和46年の正月、大師線直通急行(通称ダルマ急行)を目当に出かけた時の画像です。

 ~インタアーバン京急、併用軌道を行く?s46八つ山拡大02R.jpg(1)           踏切を渡る230のダルマ急行、トリミングで併用軌道に見えるように強調してみましたが、いかがでしょうか?

              

s46八つ山拡大01R.jpg(2)   東海道線をオーバークロスして路面区間に進入する1000形特急・・に見えますでしょうか?

s46八つ山02R.jpg(3)            ここには京急最後の路面区間があったのです。昭和31年までは、東海道線をまたぐと急カーブ(R50mだったらしい!)で手前の国道1号線に入り、実際に併用軌道で走っていました~残念ながらその姿は見ていませんが・・・            

品川~北品川間の線路は2回にわたって移設されています、もともとは国鉄品川駅前の高輪駅から、八つ山橋を通り、北品川駅まで都電と共用の路面区間だったのが、昭和8年の1435mmへの改軌で現在の品川駅に乗り入れた際に高架の専用軌道になり、画像(3)の道路上のみ併用軌道が残った、というわけです。

昭和31年と言えば、ロマンスカー500形などもすでにデビューしており、併用軌道を行くハイキング特急の写真を雑誌で見たことがあります。


※ここで本家アメリカのインタアーバンの参考写真を何枚か~京急が技師を派遣して、いろいろお手本にしたL.A.の電車Pacific Electric(PE)の併用軌道の様子をご覧下さい。

(4)この電車、大きな窓やアンチクライマーなど、京急の古い電車に似てますね。pe070R.jpg

pe150R.jpgpe595R.jpg    (5・6) アメリカのインタアーバンは市街地では路面電車に乗り入れたり、自前の併用軌道区間も多くありました。高速の蒸気鉄道に対抗して、都心から都心を直結する、という電車のメリットを生かそうとしたのでしょう。

京急も品川とまりではなく、新橋、銀座あたりまで直通する目算だったのではないでしょうか?

pe602R.jpg(7)京急の車体色は一貫して赤系ですが、これもPEに倣っているそうですよ。


道路の真ん中を大形の郊外電車がごろごろ走る区間は、戦後でも関東では京急・京王、関西では京阪・山陽・近鉄、地方都市では福井、新潟、旭川にも見られました。(明治から昭和初期には、もっとあちこちにあったようです)

以下、昭和46年当時の電車各形式とともに、<擬似>併用軌道風景をお楽しみください。

まずは吊り掛け車2形式。s46八つ山拡大001R.jpg             (8)戦前の名車230の川崎大師直通臨急(ダルマ急行)~ダルマの行き先板が通称の由来です。この電車の車体寸法は地下鉄銀座線に準じていて、乗り入れを視野に入れていたとか~屋根の低いのもそのせいでしょうか?インタアーバンは都心直結が命ですからね!

(9)戦後初のロマンスカー500形が、700形譲りの窓の小さな4扉車体に乗せ換えられてしまったのは、がっかり&びっくりでした。230が原形を残した更新だったのとは対照的です。s46八つ山拡大003R.jpg

そしてこちらはカルダン車。当時からの看板列車の快特600形と、1000型の特急です。s46八つ山拡大002R.jpg(10)s46八つ山010R.jpg(11)              SLが描かれた踏切標識(当時は遮断機もなしでした~後にクルマが増えて遮断機つきになりましたが・・・)や、タクシーのデザインが時代を感じます。s46八つ山拡大004R.jpg(12) 

(13)当時の最新鋭、初の4扉車700形と230ダルマ急行のすれ違いです。ダルマ急行R.jpg       普通列車のスピードアップによって特急の速度を上げる、と言う考え方で登場した700形でしたが、開閉できる窓が少なく、夏の暑さに乗客から「赤い棺桶」と呼ばれたり、京急らしくない小さな側窓や重苦しい顔つきのせいで、ファンからは不人気のまま消えたのは少し可哀相でした。

この頃は、吊り掛け・カルダン入り乱れての高速運転が京急の魅力でした。吊り掛け車も急行だと100km超で飛ばし、高架化が進む前の建て込んだ家並みを縫っての爆走、迫力満点で乗るたびにワクワクしたものです。

でも、当時は京急のカルダン車は600・1000・700の3形式しかなかったのですね。

~おっとカルダン車がもう1形式ありました~金太郎塗りも懐かしい都営5000形も川崎行きの急行で乗り入れていました。はるか昔には、手前の道の上で都電と京濱が軌道を共用していたのですから~歴史は繰り返す、ですねえ。 s46八つ山拡大03R.jpg(14) 

撮影当時は、北品川付近の旧東海道には名残の建物も残り、そこはかとない宿場町の雰囲気も味わえました。古典落語<居残り佐兵次>を基にした傑作映画「幕末太陽伝」の冒頭にも、この辺りの京急の線路がほんの一瞬登場します。電車の右に見える建物の右横には、旧品川宿に通じる道が伸びているのは今と同じですが。あたりの様子は激変していますね・・・。

こんなところで、昭和46年正月の京急、<擬似>併用軌道風景は終わりです。

周辺のビルの高層化で、のどかだったこの辺の景色も全く変わっていますね。暖かくなったら今昔写真撮りに出かけてみようかな・・・

              


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コメント 24

gardenwalker

こんばんは
2枚窓、湘南顔懐かしいです!
子供の頃、海水浴に行くのに乗った記憶があります
たしかボックスシートだったような記憶です
by gardenwalker (2012-01-27 23:18) 

manamana

品川を出てしばらくはゆっくり走って、
激走の前の準備体操みたいな区間ですね。
by manamana (2012-01-28 06:26) 

nd502

鉄道線規格の車両が併用軌道を走る光景は見ていて楽しい
です。地元の名鉄も犬山橋が併用軌道だった頃は有名撮影
スポットでした。
http://nd502.blog.so-net.ne.jp/2008-05-12
by nd502 (2012-01-28 08:09) 

む〜さん

USのインターアーバンも中々魅力的ですね。都市内に乗り入れてくる所為かポール集電てのも凄いです。
八つ山あたりは、併用軌道時代、一度も出撃せずに終わりました。いまでは、踏切になってしまいましたが、一度は行かねばと思って居ります。
品川も、特に東口が、まるで、未来都市みたいに化けてしまい、もう、浦島太郎の気分ですね。暖かくなったら、行って見ます。
by む〜さん (2012-01-28 09:14) 

maipenrai

 昭和46年といえば、水産大(いまは海洋大)に入った友人と、しょっちゅう北品川で呑んだくれてた頃…北品川の町はまだ宿場町の面影が随所に残っていて、かつては遊郭のあった町らしく、こじんまりした飲み屋さんもたくさんありました。もっとも客は水大の学生と、新幹線の車両基地の関係者ばかりだったような…。ふんわりした都交5000の座席のすわり心地を思い出しました。
by maipenrai (2012-01-28 11:22) 

COLE

八つ山橋を走る京急、今では考えられませんね
のどかな時代をノスタルジックに懐古してしまいます
by COLE (2012-01-28 15:05) 

Cedar

■gardenwalker様
>2枚窓、湘南顔=500形に始まり1000形の初期形まで続いた戦後の京急フェイスです。湘南形を自社流に上手くアレンジしていました。ダルマ電車800形もこの仲間ですね。
乗車されたのはここに写っている600形でしょうか?
■manamana様
今も北品川を通過して高架に上がるといきなり加速します。当時は地平で、住宅密集地をすり抜ける快特は鮫洲の手前のカーブで減速するまで、北馬場・南馬場・青物横町の駅を100km以上で通過しました。
■nd502様
併用軌道時代の犬山橋は何度も通った場所でした。拝見したお写真と同じく、バラエティ豊かな電車が結構な密度で行きかうのに興奮しました。凸電の牽く貨物列車も撮影したことがあります。
■む〜さん様
併用軌道を大形のポール電車が行くインタアーバンには、子供の頃父の鉄雑誌で見て以来、魅了され続けてきました。
関西、特に京津線のような電車がアメリカにはたくさんあったということですね~当時のアメリカに行ってみたい!と本気で思います。
八つ山橋には暖かくなったら私も行ってみようと思っております~ひょっとしてお会いするかも?
■maipenrai様
北品川は渋い飲み屋があるらしい、という噂は聞いています。この界隈の京急(都営・京成車)を撮影しつつ宿場町で呑み鉄、コレありですね!
■COLE様
京急のトラスは昔のままですが、八つ山橋はこの時のクラシックな鉄橋が、無味乾燥な橋に架け替えられてしまいましたね。
昭和46年のこの頃でも街外れのムードでしたが今は・・・?


by Cedar (2012-01-28 17:51) 

Cedar

★やまびこ3様
★Reirei様
★ひもブレーキ様
★素人写真様
nice!ありがとうございます.
by Cedar (2012-01-28 17:54) 

うたに

2枚目の写真は、鉄道・道路の併用橋のようにも見えますね!
モノクロ写真ならではの視覚効果とも言えそうです。面白いな〜(^ ^ )
by うたに (2012-01-28 17:59) 

伊豆之国

大きな電車が道路の真ん中を堂々と走り抜ける風景、以前「二子橋の大井町線」の話を書き込んだのですが、犬山の木曽川の橋は20年余り前に実際に電車に乗って通過したことがあります。道路の橋と別々になってからの犬山には、一昨年の秋に訪れ、橋の上から見た、犬山城の上に三日月が輝く幻想的な光景が印象深く、とっぷり日が暮れてからは、川岸から鵜飼のかがり火を見ることもできました。

現在、路面電車タイプではない「普通の電車」が道路を走る風景というと、今残っているところでこれに近いのは京都の地下鉄からの車両(多分4両編成)も乗り入れる、浜大津の手前の京阪京津線ぐらいでしょう。福井鉄道は、ちょっと前までは高床の電車が路面区間で何段ものステップを降ろして客を乗り降りさせる風景が見られたのですが、7年ほど前に廃線になった名鉄岐阜市内線・美濃町線などから来た路面電車タイプの車両にほぼ総入れ替えされ、専用軌道区間もそれにあわせてホームも低いものに改造され、逆に「路面電車が専用軌道を走る」形に変わっている、と見られるのではないでしょうか。
by 伊豆之国 (2012-01-28 18:27) 

Cedar

■うたに様
狙い通りに感じていただき、嬉しいです。この区間実は今でも線路自体は当時のままですが、道の取り付け変更や、道路橋の架け替え、ごつい遮断機の設置など、どうやっても道路併用には見えません。
近々その辺りの比較をしつつ、かつ北品川界隈の宿場町の面影や渋い飲み屋探しに出かけようと思っております~あ、暖かくなったらですけど・・・
■伊豆之国様
かつては日本各地にあったこんな区間も、おっしゃるように京津線の浜大津くらいですね。
東急の二子橋は一度だけ電車で通過した記憶があります。写真撮ってないのは返す返すも残念です~橋が昔のままなのが奇跡的ですね。
by Cedar (2012-01-28 18:39) 

利きゅう

朝のラッシュ時、12両編成の電車が最徐行で八ッ山橋の踏切を通過しているとあっと言う間に、自動車の列が出来てしまいます。先行列車がホームに停車中だと踏切上で信号停止することも・・・。
この踏切も、道路の歩道部分が拡幅されたり分離帯が出来たりしてCedar様が撮影された頃と幅は変わっていないと思うのですが現在の方が狭く感じます。

大師線川崎大師の踏切が規模は違いますが撮影の仕方によって併用軌道を走っているような写真が撮れます。ただし、被られる確率が高いですが・・・。
by 利きゅう (2012-01-28 19:39) 

Cedar

■利きゅう様
八つ山橋の踏切を12連が徐行~今や車も増えたでしょうからそれは大変ですね。

実は近々、厄払いに川崎大師に行く予定なので踏み切りの撮影にトライしてみます~耳寄り情報ありがとうございました。
by Cedar (2012-01-28 22:05) 

Cedar

★hanamura様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-01-28 22:05) 

あおたけ

この遮断機のない八つ山の光景は、子供の頃に雑誌で見て衝撃を受け、
いつか見てみたいと思っていましたが、実際に私が行った時にはすでに現在の形になっていました。
今でも線形などは変わっていないはずですが、遮断機がないだけでこうも雰囲気が変わるものなんですね。。。
というよりも、Cedarさんの撮り方や紹介の仕方で、本当に併用軌道に見えてしまいます。
by あおたけ (2012-01-29 16:57) 

Cedar

■あおたけ様
写真のトリミングと思い込みのテキストで、インタアーバン好きの妄想を記事にしてしまいました。スミマセン・・・(恥)
京急の都心乗り入れが都電への直通で実現していたら、戦後の都電廃止や京急の長編成化でどうなっていたか?などというアホなことまで考えます。
by Cedar (2012-01-29 21:37) 

Cedar

★FTドルフィン様
★シュウチャン様
★nexus6様
★プント様
★hanamura様
nice!ありがとうございます

by Cedar (2012-01-29 21:41) 

Cedar

■denta60様
nice!ありがとうございます。
by Cedar (2012-01-30 09:15) 

EF510-230

この踏切はバイパスができたので、最近では渋滞が少ないようですが、東京都の計画では将来、立体化されるようです。八ツ山橋ももう寿命に近いでしょうから架け替えが必要でしょう。JRの田町-品川間の大規模再開発計画では、山手線の品川駅構内の電留線もそのエリアに入っていますので、京急の品川駅が八ツ山橋架け替え・立体化に伴い海側に移ることも考えられます。駅移転後の空いた京急の用地はJRと交換されJRの駅ビルになるような予感がします。
by EF510-230 (2012-01-30 10:36) 

はーさん

京急は併用軌道を走ってもさまになりますね。
230の車輪系は小さいと聞いたことがありますが、床も低いのでしょうか?
赤と黄色のツートンカラーから、更新後、赤に白帯を巻いた姿になり、往時を思い起こしました。アンチクライマーを切ったりしたので、嫌う向きもありましたが!
PE、素晴らしいですね。一度見たかったと思います。
側面等は新京阪デイ100に似ているようにも思えます。
by はーさん (2012-01-30 11:37) 

Cedar

■EF510ー230様
京急品川駅が移転なんて話もあるんですか?
全くJRときたら、やりたい放題ですね。金ある奴は何しても許されるってのは、アメリカみたいで嫌だなあ。
by Cedar (2012-01-30 16:43) 

Cedar

■はーさん様
230は当時としては軽量設計で自連化された様子では床も低いようです。地下鉄銀座線乗入れを目論んでいたくらいですから。
PEの丸窓電車はアメリカで保存車に乗りました。車体幅3m.全長22mの大形車が街路を行くところは見たかった!
by Cedar (2012-01-30 16:56) 

京阪快急3000

こんばんは。ご無沙汰しております。

当時の雰囲気がよく分かるお写真ばかりですね。

京急の700形って、登場時から評判が良くなかったのですね。

一方230形は、自分が京急で好きな車両のひとつです。

つい最近まで、「ことでん」で活躍していたのが(本の写真からでしたが)、思い起こされました。
by 京阪快急3000 (2012-01-30 23:27) 

Cedar

■京阪快急3000様
品川界隈もつい最近までこんな感じだったのが、ここ15年くらいで劇的に変りました。
京急の230も700も琴電に行きましたね~海を隔てた近間の関西には1435mmゲージの電車がいっぱいあるのに、わざわざ遠く京急の電車を動態保存(!?)してくれる琴電には関東鉄としては感謝しています。
京急では終始不人気だった700も元気に活躍しているようですね。
by Cedar (2012-01-31 20:32) 

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