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昭和44年冬、雪の日の玉電(その2~サブタイトルは悩んだまま) [今昔鉄写真]

いきなりですが~この記事のサブタイトルには悩みました。降雪記念(?)の玉電雪景色・第2回目です。

芋虫と雪><ペコちゃんと雪景色><雪のタルゴ>=今回の主人公はニックネームがいろいろあったようで・・・

s44たまでん雪200拡大001R.jpg(1)もう、何のことだかお分かりですよね~

早すぎた野心作、東急200形~昭和30年に東急唯一の路面電車だった玉川線に、さっそうと登場した低床式軽量連接車です。

廃止直前の昭和44年冬、雪が降った日の玉電写真のなかから200形を集めてみました~といってもたった4枚ですので、あしからず・・・

まずは、ターミナル渋谷から道玄坂上の路面区間に出たところで撮ったトップナンバー201です。s44玉電雪200-04拡大R.jpg(2)              80形104と201。玉電の2大スタイリッシュ電車のすれ違い。雪の朝とはいえ、現在のこの界隈の賑わいに比べると、あまりにも静かな情景です。

東急デパート2階の渋谷ターミナルに入る信号待ちで停車中の姿、じっくりと見ていただきます。芋虫・ペコちゃん・はたまたタルゴ?どれが相応しいでしょうか?s44玉電雪200-06R.jpg(3)

s44玉電雪200-08拡大R.jpg(4)ヨーロッパの路面電車のようなエキゾチックなイメージはこのアングルでしょうか?高く高く上がったパンタは、それまでの日本の路面電車には見られなかった・・・

丸々とふっくらしたお顔は、優しさとともにユーモラスな感じもします。現代の電車の攻撃的な顔つきとはずいぶん違いますね~s44玉電雪200-07拡大R.jpg(5)              入口の20円均一に、いまさらながら驚きました。そういえばこの頃は国電の最低区間運賃が30円の時代だったと思います。


今回の記事は<今昔鉄写真>カテゴリーになっています。なので田園都市線宮崎台「電車とバスの博物館」に保存展示されている204の姿もご覧下さい。(厳密にはこういうのは今昔写真とは言いませんねえ~スミマセン。)

200~01R.jpg(6)

200~03R.jpg(7)開放式のこじんまりとした運転室、やはり昭和の電車って感じのつくりです~(昭和30年製造ですから、私よりも年下ですけど・・・汗)

200~02R.jpg200TS~04-302bR.jpg(8・9)運転台に比べて、この電車の下回りは画期的でした。アメリカのPCCやスペインのタルゴ(最初のものはアメリカ製でした)などもいろいろ研究したのでしょうね~ボギー台車などPCCの台車によく似ています。NJPCC02台車.jpg(10)~と思って、昔撮ったPCCの台車を探して比べてみましたら、ブレーキの方式をはじめ、インサイドフレーム以外はあまり似ていなかった・・・(汗)。

それはともかく、戦後の混乱も一段落し、日本の電車も世界の新しい鉄道技術をどんどん取り入れようという勢いが全身から感じられますね。img_1275692_34896483_2.jpg(11)

子会社伊豆急で100形の営業運転を開始したように、東急さんも200形リバイバル運転をやってくれないか?と思ったりしますが~むりかなあ?むりだろうなあ~

なんってたってあの名車のトップナンバー(!)をこんなことしちゃう会社ですから・・・ハチ公5000.jpg(12)

叶わぬ夢はさておいて、昭和44年の雪の日に戻りましょうか。


渋谷を出て、246号や前回見ていただいた旧大山街道を走ってきた玉電は、瀬田と終点二子玉川園の間では、国分寺崖線と呼ばれる河岸段丘を専用軌道で下っていきました~渋谷からここまで45~50分はかかったでしょうか?現在の田園都市線が地下から出てくる辺りの43年前です。s44玉電雪200-02R.jpg(13)

雪景色のなかで、枕木が白く光る線路を二子玉川に向かうラストナンバー206。周囲も郊外らしい風景が広がっています。現在の田園都市線が地下から出てくる辺りの43年前です。


(14・15)ちなみに現在のこの辺りの様子はこんなです。道の形は昔のままですが、高いガードレールで歩道が仕切られて、昔のように線路沿いのポジションで撮影するのはちょっと無理でした。futako01R.jpgfutako02R.jpg

昨日の雪が残っているうちに撮影すればよかったのですが、平日にそんな時間はなかったのが残念でした。


s44玉電雪200-01R.jpg(16)

s44玉電雪200-03R.jpg(17)           再び昭和44年の風景です~写真(14・15)とほぼ同じ場所の線路際で撮影しています。行く手には、現在のビルの立ち並ぶ光景からは想像もつかない二子玉川の雪景色が広がっています。大井町線の高架がひときわ高く見えていますね。

この日から3ヶ月もたたないうちに、この光景も過去のものになってしまい、現在のLRTの思想を先取りしてデビューした200形も、登場後わずか14年で記憶の彼方に走り去っていきました。

というわけで、昭和44年の雪の日から、お別れいたします。


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maipenrai

私は「ペコちゃん」に一票。でも「モスラ」に似てるなぁ…なんて思ったことがあります。前回記事のコメントで「桜新町の風景に似合わない」的なことをほざいてしまいましたが、あの風景の中の200形も見てみたいよなぁ…なんて勝手に思うのであります。
by maipenrai (2012-01-24 22:08) 

manamana

昭和30年代の東急ってどうしてこう野心的で実験的な車両を、
つぎつぎ導入できたのでしょうね。
それにこのまるっこい愛嬌のあるお顔。
そうそう色は違いますがモスラの幼虫にそっくりですね。
by manamana (2012-01-24 22:25) 

べレG

こんばんは!ご無沙汰いたしております、以前に昭和48年の蒲田駅の
ブログでコメントさせていただいたべレGです。

私もペコちゃんに一票です!

私は残念ながら玉電の廃線後の生まれなので、現役時代は知らない世代なのですが、坂を下りたあたりの踏切跡の脇にあった、東急のスイミングスクールに通っていたので、あの廃線跡はずいぶん歩きました。

上野毛で育ったんですが、最近は二子もずいぶん人も景色も変わってしまいましたね。

今でもついうっかり「二子玉川園」「新玉線」と言ってしまいます(笑)


by べレG (2012-01-24 23:00) 

べレG

こんばんは!ご無沙汰いたしております、以前に昭和48年の蒲田駅の
ブログでコメントさせていただいたべレGです。

私もペコちゃんに一票です!

私は残念ながら玉電の廃線後の生まれなので、現役時代は知らない世代なのですが、坂を下りたあたりの踏切跡の脇にあった、東急のスイミングスクールに通っていたので、あの廃線跡はずいぶん歩きました。

上野毛で育ったんですが、最近は二子もずいぶん人も景色も変わってしまいましたね。

今でもついうっかり「二子玉川園」「新玉線」と言ってしまいます(笑)
by べレG (2012-01-24 23:01) 

ニャンゲルハンス

お久しぶりです。

二子新地で生まれ育った私ですが、玉電の記憶はないですね。まあ、廃止の頃は、nまだ幼稚園に入ったばかりの年齢でしたから。

200形、以前走行音をカセットか何かで聞いたことがありますが、少しやかましいという感じがしました。まあ、都電8000ほどではなかったでしょうけど。

200形は、廃車後に、204が多摩川園、206が野田市の公園に、それぞれ保存されましたが、206の方はボロボロになり、解体されてしまったようです。
多摩川園保存の頃の204を、見に行ったことがありますが、今とくらべ、緑色が濃かったですね。

204が、ああいったしっかりとした形で保存されていることは、本当うれしいですね。
by ニャンゲルハンス (2012-01-25 01:30) 

ひもブレーキ

蛇足ですが、私にとってモスラ電車といえば向ヶ丘遊園地に行くロッキードモノレールを思い浮かべます。
by ひもブレーキ (2012-01-25 11:26) 

Tosi

お写真の201や206、そして保存展示されている204は、いずれも私が幼い頃に何度も乗車していたはずの「赤い行き先表示」ではないにもかかわらず、名状しがたい懐かしさを感じます。町並み景観は(首都高の出現は別として)70年代や80年代前半にはまだこの時期からそれほど大きく変化していなかっただけに、1969年は遠い過去ではなく、手を伸ばせば届きそうな時代に属しているようにも思えるのに、玉電末期に関連する記憶を明瞭に呼び覚ますことができなくなっているのはもどかしい限りです。世田谷区内にしても渋谷にしても近年の変化があまりにも急激で、過去の雰囲気を部分的にとどめているような街区の一角や、以前から存続している建物、施設など、記憶を呼び覚ますための手がかりとなる要素が著しく減少し、その多くは再開発で出現した巨大な建物に取って代わられ、消滅してしまったということが、やはり無視できないと思います。渋谷ではとくにマー
クシティ以降、玉電の失われた時を再び見出すことはきわめて困難になってしまいました。
それにしても、雪が廃止の少し前の玉電の記憶に密接に結びついているというのは、とても美しく、また、羨ましいことでもあります。
by Tosi (2012-01-25 20:19) 

のり

本当に素敵な電車ですね。現在走っておれば、人気者間違いなしでしょうね。登場が早すぎたのかもしれません。いま、ようやく時代が「ペコちゃん」に追いついたのかもしれませんね。
by のり (2012-01-25 22:27) 

伊豆之国

前回に続いて「玉電」ネタへの反応です。

あの大震災の日。JRは結局終電までストップのまま。地下鉄、私鉄がやっと夜遅くになって運転再開という状況。最悪なら勤め先(港区)からから町田の外れの自宅まで歩き通しも覚悟、という中で、ともかく地下鉄の駅に寄っては運転再開見通しを聞く、ということを繰り返し、渋谷まで歩いて一休み。井の頭線が動き出すらしい、というアナウンスが入ったのですが大行列で中に進めず、再び田園都市線が動き出すことを期待して玉川通りを歩くことに。結局三軒茶屋に来たところで運転を再開したことがわかって、何とか電車に乗れたのは夜の0時を過ぎた頃。とにかく我が家には無事戻れ、大した被害もなかったのですが、それから半年近くも足の痛みに悩まされることに‥。
ところでこの震災のお蔭で、久しぶりに「見る」ことができた玉川通りの光景。少年の頃に「玉電」、そしてバスの窓から見慣れてきた、私の心の中で「ランドマーク」になっていた多くの店はほとんど姿を消し、町の姿が一変したことに今更ながら驚き。道玄坂に出るところにあった菓子屋「仁科屋」、大坂上近くの合掌造りの「ふるさと」、そのすぐ脇にあったホテル「石亭」、そして銭湯、家具センター‥これらは既に知っていたこととはいえ、みな跡形もなく姿を消し、マンションなどに様変わり。大橋の玉電の車庫の跡も、大橋JCTの建設で完全に潰されて‥。「ふるさと」の近くにあった「春」という小さな居酒屋がビルの谷間に埋もれながらも健在だったこと、池尻の古畑病院、建て替えられたものの三宿近くの「せたパン」というパン屋などが残っていたのが、わずかに記憶を呼び覚ましたのでした‥。
三軒茶屋の仲見世は、先日のボロ市のときにちょっと寄って見たのですが、中のテナントはだいぶ入れ替わったものの、往時の面影が残っていて、なぜかほっとしたものでした。
by 伊豆之国 (2012-01-25 23:20) 

gardenwalker

こんばんは
困った顔をした狸とかアライグマに見えます^^
by gardenwalker (2012-01-26 00:26) 

Cedar

■maipenrai様
雪に出動できないものぐさは、こんなごまかしに走っております(笑)
200形はやはりペコちゃんですかね~沿線の非鉄一般人は芋虫だったようですが。
■manamana様
東急車輛は鉄道線に5000、軌道線に200と野心作を送り出していたのに~今やJRの参加になるとは時代は変りましたね。
■ベレG様
お久しぶりです。
>東急のスイミングスクール~今は東京都市大学付属幼稚園(!)になってるところですね。私も瀬田に越した当時あのプールには何度か行きました。
今や新玉線とか、二子玉川園を知らない住人もずいぶん増えました。
■ニャンゲルハンス様
200形の走行音は覚えていませんが、乗り心地は独特でした。カーブでの揺れ方(と言うか車体の動き)を記憶している世田谷人(例えばうちの妻)は多いようです。
■ひもブレーキ様
向ヶ丘遊園のモノレールってコンクリート軌道の上に1本レールがあったのを覚えています~豆汽車の記憶もぼんやりと・・・
■Tosi様
世田谷は近郊農村から戸建住宅地へ、さらに高層化へとめまぐるしく変っています。東京の城北地区育ちから見ると、玉電の沿線は本当に郊外のイメージがありました。
赤い札、と言うことは下高井戸方面にお住まいだったのですね。
■のり様
一応保存されているので、世田谷線で復活運転してほしいものですが~阪堺の爪の垢でも飲まればいいですかね?
■伊豆之国様
震災の日は、私も渋谷から瀬田まで246を延々歩いて帰宅しました。沿道のお店を気にする余裕はなかったものの、せたパンや古畑病院は記憶にありますね。私の足で渋谷から家まで約1時間半ほどかかったような・・・玉電のラッシュ時もかなり時間かかったようですが、さすがに徒歩よりは速い?。
■gardenwalker様
確かに200形は幼虫系でもありますが、お顔はタヌキかムジナっぽいです~<困った>っていうのがいいですね!


by Cedar (2012-01-26 01:13) 

Cedar

★シュウチャン様
★hanamura様
★nd502様
★denta60様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-01-26 01:18) 

教祖

連接部分の1軸台車?初めて見ました。
なんかスゴイですねえ〜
2軸貨車なんかと違う本格的?なつくりです。

電車館までは遠くてなかなか行けませんが、この車輌興味あります。
by 教祖 (2012-01-26 07:35) 

やまびこ3

現役時代は見たことも乗ったこともないのですが、50年以上前にこれだけの低い床の車両を開発した意欲はすごいですね。窓も大きく、明るいしゃないだったことでしょう。
by やまびこ3 (2012-01-26 07:38) 

なにわ

「走るんです」を開発するのも技術屋には野心的なものなんですよ。
かの5001に関しては社内で勢力争いがあってその末がこういう結果だそうで。

by なにわ (2012-01-26 19:08) 

Cedar

■教祖様
連接部の1軸台車は当時スペイン向けに造られた軽量連接車の<タルゴ>はじめとするアメリカの軽量列車の影響でしょうか?6編成も造ったのに1編成しか残ってないのも寂しい。
■やまびこ3様
乗った印象はうろ覚えですが、車内は明るかったですが、乗り心地はなんかゴロゴロ振動があった様な記憶です。
でも他形式との違いは際立っていて、子供たちには人気でした。
■なにわ様
野心っていうのは時代によって方向が変るということでしょうか?
5001の話はチラッと聞いたことあります。
by Cedar (2012-01-26 21:22) 

Cedar

★gorosan5670様
nice!ありがとうございます

by Cedar (2012-01-26 21:59) 

うたに

ホント丸っこくて愛嬌ある顔つきですね~。
かつて流線型が流行った時代があったようですが、この車両もそういったことに影響を受けたのでしょうか。

渋谷駅前の青ガエルは・・・なんであんな風にしちゃったのやら。。
by うたに (2012-01-27 12:38) 

Cedar

■うたに様
お久しぶりです~
流線形+湘南形は昭和20~30年代のトップモードですね。
正にこの電車の時代です。青ガエルも同時代の産物ですから。
渋谷のカワイそうな姿は、東急の役員人事でそれまでの鉄道担当の役員が交代して、車両が技術遺産、という考えがなくなってしまったかららしいです~それにしても酷い!


by Cedar (2012-01-27 16:14) 

Cedar

★shin.sion様
★プント様
nice!ありがとうございます

by Cedar (2012-01-27 16:15) 

伊豆之国

前回のコメントの続きです。

幼い頃の私にとって「遊園地」とは、やはり二子玉川園でした。「豆電車」と「豆汽車」があって、「豆汽車」のほうが走る距離が長く、すぐ横の多摩川土手の松原が格好の背景になっていたのを今でもはっきり覚えています。「豆汽車」の横には「食堂車」(といっても実際の車両ではなくただ似せて造ったもの)もありました。入口の横には「二子劇場」があり、いろいろな乗物があったところまでは、林の中を結構歩いたように記憶しています。‥駅から遊園地の入口までの間にあった商店街も再開発で全く跡形もなくなってしまいましたねぇ~。

前にも書き込みましたが、渋谷駅で無残な姿をさらしている「青蛙」5000系、やはり現役で最後に残っている熊本電鉄にお願いして、完全な姿で動態保存してもらうしかないような気もします。
by 伊豆之国 (2012-01-27 23:52) 

COLE

玉電というと私にはこの丸型車両が思い浮かぶのでした
by COLE (2012-01-28 15:05) 

Cedar

■伊豆之国様
二子玉川園の豆汽車には乗った記憶がぼんやりとあります。
多摩川の土手沿いを走る区間の印象はありますね。
二子玉川園や向ヶ丘遊園の豆汽車は都内の密集地育ちの鉄ガキには、本格的な鉄道に見えたものです。
5000系をキチンと保存しようとしないT急さんって???
■COLE様
私はガキの頃、<たまでん>というのは200形そのものを指すのかと思っていました。四角い30,40形は<かくでん>ですね(笑)。
by Cedar (2012-01-28 17:24) 

EF510-230

ペコちゃんは見かけはいいですが、乗り心地はよくなかったですね。私もゴロゴロの印象が脳裏に焼きついています。まさに「いもむしごろごろ」ですね。
by EF510-230 (2012-01-30 10:53) 

Cedar

■EF510-230様
いもむしごろごろ~言いえて妙!座布団5枚です。
by Cedar (2012-01-30 23:23) 

Cedar

★FTドルフィン様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-01-30 23:24) 

undo

200形が止まってるのはいまの道玄坂上交番あたりですね。
あっしはあそこがバス専用道路になってからしか記憶にないですが・・・・。(あそこを通りたくて休日に渋24に乗って帰宅したことがあります)

17枚目、奥のほうに見えるビルは富士観会館でしょうか?駅近くで大きな建物といえばあれくらいしか記憶にないのですが。(高島屋はもう少し手前になるかな?)
あそこもマンションに変わってしまい二子玉もだいぶ変わっちゃいましたね。
by undo (2012-02-03 16:30) 

Cedar

■undo様
渋谷のバス専用道路=元玉電の駅の場所にバスのターンテーブルがありましたよね。
富士観会館=結構最近まで残っていて。最上階の喫茶レストランは穴場的人気もありました。
今となってはこれらも懐かしいです。
by Cedar (2012-02-03 19:44) 

Cedar

★suzuran6様
nice!ありがとうございます

by Cedar (2012-02-03 19:45) 

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