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昭和43年、シャイ&ものぐさな名鉄写真(その2) [昔鉄スナップ]

皆さん、3連休はいかがでしたか?私はごたごたと雑用多く、鉄活動はほぼ出来ず~したがってブログのネタも増えない・・・  そこでまたまた、お恥ずかしい昔の駅撮り写真を引っ張り出しました。犬山s43003Rタイトル.jpg 前回9月11日の記事 http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2011-09-11-1 で<似たような写真は犬山駅でも撮っていますが、見ていただくのは余程ネタに困ったときでしょうね(汗)。>と書いていたのが早くも現実に・・・(再び汗)

というわけで昭和43年9月犬山駅です。前回の記事を書いたあと、薄れていた記憶をたどってみたら、祖母と一緒に明治村に出かける途中の撮影だったようです。津島→須ヶ口→そして犬山とつながる理由判明!

ここは犬山線・小牧線・広見線が集まるジャンクションなので、被写体は豊富でした。それでも祖母を1時間ほど駅のベンチで待たせた記憶が~

(1)まずは犬山線ホームでの、ものぐさ画像から。画面右下に写っているベンチに座っていて、電車が来るとやおら立ち上がって撮影、みたいなことだったのでしょうか(恥)・・・ 名古屋方面に向かって発車していく常滑行き特急は名鉄最初の高性能車5000系。長電2000や富山地鉄10070と同時代の丸っこい初期ロマンスカースタイルが懐かしいですね。犬山s43007R.jpg 5000系はもともとは左に見えている2770形と同じピンクマルーンで登場し、短期間だけ、かの有名な失敗塗装ライトパープル(※)化の後、写真のイエローに赤帯になっていました。

この頃の塗装は様々で、車種も多かったせいでパノラマカーのレッドから各停用のオリーブグリーンまで各種揃っていました。

※カラーでお目にかける参考写真~曇天・雨天での視認性が極端に悪いうえ、乗客からも寝ぼけた色だ、しまりが無い、など散々の不評だったようです。名古屋在住の某有名画伯のアイデアだったらしいですが、やはり電車にこの色は無いですよねえ~。s43新岐阜ライトパープル5000.jpg

(2)再び犬山駅です。お隣の広見線・小牧線ホームに入ってきたのは3780系。当時、特急の大安売りを展開していた名鉄が支線特急用として作った車両。フラットな前面に2つひと組の側面窓がドライな印象のボディです。犬山s43004R.jpg この形式で初採用の1人+2人掛けの転換クロスシートに冷房つき、前面おでこにはパノラマカー譲りのミュージックホーン(通称どけよホーン~♪どけよ、どけよ、殺すぞ~♪)まで装備なのに、吊り掛け式のHL制御という、ある意味で名鉄ならではの電車でした。

(3)犬山線ホームの岡崎行き普通3550形と、広見線からの鵜沼行き特急3770形の並びです。3550はこのときにキャッチした唯一の犬山線普通電車でした。津島でも見た3扉・ロングシート車は「2扉クロスシート車こそ名鉄の標準」だと思っていた関東鉄には、かえって違和感を感じたものでした。 3770は3700の増備車で、両開き扉+転換クロスシートになり、小さくなった前面窓は、その後の名鉄顔のハシリでした。犬山s43003R.jpg ホームの乗客の様々な姿、服装が時代を感じますね

この犬山駅では、津島駅よりは少しアクティブだったようで、この後小牧・広見線ホームに移動して撮影していますが、フレーミングはものぐさそのものいたってルーズなものでした。

(4)当時の名鉄は主要観光地行きの愛称つき特急が大流行でしたが、小牧線のネームドトレインは準急でした~当時の支線区間の主だった3700系の<明治村号>。上飯田から岐阜までの直通は少数派だったと思います。犬山s43006R.jpg 木造や初期鋼製車の下回り機器を使って、おとなしいデザインの2扉車体を乗せた3700系は、両開き扉の3770、(2)の3780とともに、HL(手動加速車)の一大グループを形成していました。のちにまとまった数が四国の琴電に移ったのはご存知の方も多いですね。 

(5)犬山s43006RR.jpg 画像(4)の拡大です~列車名の横に「岐阜」と書いた紙を貼った前サボが、いかにも臨時列車らしいですね。後方の引き上げ線にも電車がいるのがわかります。

(6・7)明治村号が発車したあとのホームに、引き上げ線から入ってきた小牧線上飯田行き。 オリーブグリーンの3800系は戦後の運輸省規格形で、富山地鉄や、長野電鉄などに同形車がいました。その縁で、富山地鉄に譲渡された仲間もいました犬山s43002RR.jpgホーム端の電柱に、上飯田の前サボが立て掛けられています。当時当たり前だったこういう風景もいまや絶滅寸前!?犬山s43002R.jpg もともとのフレームはこういう光景です。犬山線ホームには車体更新されたイモムシ」こと3400系が長いこと停まっていました。なのにカメラを向けていないのは、またまたものぐさのなせる業でしょうか?

 

犬山s43005R.jpg (8・9)なおもしばらく小牧線ホームでボーっとしていると、急行「たかやま」号、キハ8000の通過です。改めて見ると、サイドの連続窓に平面ガラスのパノラミックウインドウ、貫通ほろ上には「どけよホーン」と、国鉄キハ82にパノラマカーのフレーバーを加えたデザインなのですね~。犬山s43005RR.jpg 当時はパノラマカーの特急よりも格上の列車で、イモムシの乗客の子供も注目?していました。

たかやま号も撮ったし、ベンチで祖母も退屈していそうなのでそろそろ切り上げてと、思ったら5500系の登場です。

(10)犬山s43001R.jpg ほぼ同系の非冷房車5200系とともに、名鉄のかっこよさを鉄ファンに知らしめた形式ではないでしょうか?5000~5500~そしてパノラマカーと続く名鉄カルダンロマンスカー(SR車)は。関東には<ありえない>すばらしい電車たちでしたねえ。

例によってものぐさなフレーミングの連続ながら、今から43年前の名鉄の魅力=車種のバラエティと名車の数々=を楽しんでいただけたら幸いです。では今日はこのへんで・・・


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コメント 22

とーる

こんばんは。はじめまして。
弊ブログにお越し下さり、ありがとうございます。
稚拙な記事ではありますが、よければ今後もご照覧いただけると幸いです。
とても懐かしい車両たちが目に飛び込んできて、飽きないですね~♪
現代と違って、いろんな意味で車両バリエーションの豊かな時代でしたよね。

これからも宜しくお願いします。
by とーる (2011-09-25 23:43) 

Junior

 
大書きされた「6」「7」「8」の数字は番線表示?
にしちゃぁ、「7」の向こうに「8」が見ええるし、停車位置表示でしょうか?
 
by Junior (2011-09-26 01:30) 

教祖

昭和50年代後半くらいから名鉄は追っかけてますが、
昭和60年頃までは写真のような車両がまだ現役でしたね。

6000系、6500系、6800系の大量増備で、ほとんどのHL車が消えてしまいました。
今の名鉄は一時の「スカーレット一色」ばかりではなくなってきました。
これも時代の流れってやつでしょうか。

インパクトの強い車両が多い名鉄の中で
ひときわ地味な存在の6000系が私の最愛の車両。
力強いモーター音がたまりません。

ついに今年、瀬戸線の1編成が廃車されてしまいました・・・・
6032Fで5次車〜8次車の型なので経年30年弱ですが。

近頃の名鉄はわずか9年で1600系のクハを廃車したり、製造して数年の軌道線の800形を廃線に伴い譲渡したり、チグハグな印象をうけます。
モノ持ちの良かった30年ほど前では考えられない状況ですね。

by 教祖 (2011-09-26 02:44) 

manamana

特徴のある電車が多かったですね。
宝物の「私鉄車両ガイドブック」そのままの世界ですね。
3780系は、瀬戸線で乗ったような気がします。
by manamana (2011-09-26 06:13) 

なにわ

津島でも書いたのですが、この当時の名鉄は、急行を廃止して特急の大安売り、特急になれなかった急行は準急になってました。

現在の犬山駅でも6番線までしかありませんから、停止位置でしょうか。誰かジャーナルの1979年9月号か11月号のパノラマカー特集を引っ張り出せる方はおられませんか。7500が7両だったか8両だったか微妙な時期です。
もっとも新岐阜-豊橋の特急運用中心だったでしょうが。
そして、駅の西側はそう変わってないでしょうが、東側は区画整理もあって往年の面影はドコにもありません。まあ、4年前に小沢昭一と永六輔を見に行って以来、行ってはいませんが。
明治村も、自家用車でないのなら、明治村口からではなく(そもそも改称された)、その犬山駅東口からバスで行くのですから。

そして、最初から相方のいない、後年築港線に行く2836が写っておりますねえ。


by なにわ (2011-09-26 10:11) 

gop

名古屋営地下鉄のウィンザーイエロー、名タクのグリーン/ホワイトは
杉本健吉画伯の提案だったそうですが(以下サイト、下から二つ目参照)
http://www.nagoya400.jp/yume400/miryoku/li_life.html

ライトパープルも画伯だったのでしょうか?

by gop (2011-09-26 12:50) 

利きゅう

3700系を始めHL車はスカーレット1色よりツートンカラーの方が似合いますね。
3700系、最初の2編成(だったかな?)は、Mc-TcではなくMc-Mcでそれぞれにパンタグラフを装備し、2丁のパンタグラフを上げて走っている姿をピクトリアルで見ました。
Mc-Tcになったのは、加速性能より経済性に重きを置いた結果だったようですね。
by 利きゅう (2011-09-26 18:58) 

Cedar

★nd502様
★紺屋様
★あおたけ様
★パルの大冒険様
★とーる様
nice!ありがとうございます

by Cedar (2011-09-26 21:24) 

nd502

上飯田~新岐阜のスジは1977年当時もありました。
各務原線の各停の運用だったように思います。
今では犬山~名鉄岐阜の運用となっています。
それにしてもライトパープルが懐かしい!
水色電車と呼んでいました。
by nd502 (2011-09-26 21:26) 

Cedar

■とーる様
コメントありがとうございます。最近はものぐさ鉄、そのものなので貴兄のように東奔西走できません、このような古い&恥ずかしい画像でお茶を濁してばかり~へたれブログですがどうぞよろしくお願いいたします。
■Junior様
なぞの数字!ほんとにわかりません!小牧線・広見線は今でも4連が最長ではないでしょうか?
■教祖様
6000系は私も好きです。特に初期型のふっくらした顔と連続窓はいいですね。
名鉄らしい電車、が少なくなってきたのが残念ですね。
■manamana様
「私鉄車両ガイドブック」は家にもぼろぼろになったのがあります。
時代の記録として貴重な本ですねえ。
■なにわ様
犬山は名鉄最大のジャンクションですね。でも当時はホーム上屋も短く、横断も構内踏切だった記憶があります。それにしてもあの数字は何だろう?長い編成の多い犬山線のホームには無いのも不思議です。
■gop様
杉本健吉画伯ってすごい人なんですね。これほどの人にもやはり失敗作ってのはあるんですね・・・どこを調べても出てきませんが・・・
■利きゅう様
名鉄の塗装ではやはりピンク&マルーンがベストでしょうか?
小学生の頃友人の家にあった早川模型(名古屋のメーカー)製Oゲージ電車がこの色で、<きれいな色だな!>と思ったものです。
by Cedar (2011-09-26 21:41) 

Cedar

■nd502様
水色電車~なるほど、パープルというより水色ですね。
それにしても大胆な試みでした。せめて前面に警戒色でも入れれば 長生きでしたでしょうに・・・
by Cedar (2011-09-26 21:44) 

のり

素晴らしい、そして懐かしい写真ありがとうございます。
私の記憶の名鉄は、昭和55年です。塗装こそオールスカーレットになっておりましたが、お写真の電車は、まだまだ健在でございました。懐かしゅうございます。
新名古屋から7700系を仕様した特急「明治村」号があったように記憶しております。一日一本くらいでしたでしょうか。小牧線で犬山からすぐのところに「明治村口」という駅がございましたね。現在は、犬山からバスが主流になり、「明治村口」駅も元の「羽黒」駅に戻ったそうです。
by のり (2011-09-26 22:58) 

gop

画伯の美術館は名鉄が建ててますからね。
http://www.meitetsu.co.jp/ensen/amusement/index.html

なので失敗作は公にされていないって事なのでしょうか?
出自をご存知でしたらお教え頂きたく。

by gop (2011-09-27 12:33) 

サットン

鉄道会社にとって車体色の変更はある意味大冒険ですね。
ライトパープルの名鉄は想像もつきません!
阪急も小林公平政権下でオレンジ色への変更計画が進んでいたとか。無謀な冒険は止めてもらいたいもんです。
by サットン (2011-09-27 18:18) 

京阪快急3000

こんばんは。

素晴らしき「名鉄の車両」、存分に楽しませていただきました。

「ライトパープルの塗装」はやはり、似合わないですね(笑)。

5000系や5500系、キハ8000形など、自分も知っている車両もありました。

「古きよき名鉄の車両」のお写真、ありがとうございました。
by 京阪快急3000 (2011-09-27 18:21) 

Cedar

■のり様
このときは撮影の後明治村に行きましたが、犬山からバスだったような気がします。SLや蒸気動車なども見ましたがやはりN電が印象に残っています。車掌さんの大声の名調子を覚えています。
■gop様
>出自をご存知でしたらお教え頂きたく。
え~いささか怪しいのですが3780系のデビューを報じた鉄道ピクかファンに記述があった気がします。実家に父が残した鉄雑誌があるのですが・・なかなか整理できなくて・・・
■サットン様
ライトパープル色もこの目で見られてよかったかも?と今は思っています。
阪急のオレンジ!これこそ想像できません。
■京阪快急3000様
名鉄って名前どおり<名車>が多いです。関東とは輸送需要の違いがあるとはいえ、2扉クロスシート車に料金なしで普通に乗れるのはうらやましかったです。
ライトパープルは復刻塗装したら話題になるのでは?
by Cedar (2011-09-27 21:25) 

Cedar

★ナツパパ様
★とらさん様
★denta60様
★hanamura様
nice!ありがとうございます


by Cedar (2011-09-27 21:27) 

む〜さん

 名鉄の電車の色といえば私には、一般車=濃緑色、特急車=マルーンとピンクっぽいベージュが、昭和30年前後に、刷り込まれました。その後、パノラマカーのスカーレット・・・フェニックスのエンブレムつき。
 その後の、いろいろなカラー見本市の時代だったんですね。懐かしい電車たち・・・・有難う御座いました。
by む〜さん (2011-09-28 11:38) 

Junior

 
スミマセン、まだあの大書きの数字が気になって・・・。
ホント、何だろ?
気動車の長さから推測すると、7と8の間は30mはありそうだし。
となると、停車位置でもなさそうだし。

で、その8000系気動車ですけど、あれって名鉄の名古屋駅に出入りしてたんですよね?
日本広しと言えど、地下駅に出入りしてた気動車って他に例がないんじゃないですかね?(外国でも例は少ないでしょうけど)
 
by Junior (2011-09-28 11:59) 

Cedar

■む~さん様
名鉄は私にとって関東以外で一番身近(?)な私鉄でした。名古屋には親戚が多くあって、宿に困らなかったので・・・今でこそ関東や関西私鉄に近くなってしまいましたが、岐阜の600V区間はもちろん、1500V線も当時は汲んでも尽きぬ深み(?)がありました。
■Junior様
>まだあの大書きの数字が気になって・・・。
ほんとにそうですね。でも調べる術がありません、地元ファンの方ご存知ないですかあ~?
気動車が地下駅に出入りするのは、近い外国では台湾があります。日本製のDC自強号や、アメリカンスタイルのDELが、盛大に黒煙上げて出発して行く様は壮観でした。
NYのGCCにもDCではないがDLが出入りしていました。

by Cedar (2011-09-28 22:22) 

松桐

小学3年の頃ですね。
当時の国鉄は、名古屋地区での旅客運行にはまったく力が入っていなかったので、「お出かけ」=「名鉄」でした。
支線に入る電車は大体が3700でした。
車体と座席は新しいものの、ホールベースが短めの怪しげな台車、骨董品のようなコントローラ、スピードメータの無い運転席など、まあ凄い車両でしたが、本線をモーターをうならせ、目いっぱいのスピードで疾走するのは、乗っていても楽しかったです。
でも、3780系に乗ることが出来たのは、瀬戸線に移ってからでした。
ライトパープル塗装は、あっという間に消えましたね。
by 松桐 (2012-02-11 14:40) 

Cedar

■松桐様
ご訪問ありがとうございます。3700系は犬山線で結構すっ飛ばすのにびっくりした記憶があります。木造車のブリルMCBを改造してブレーキを強化した台車などが趣味的には面白かったです。名鉄もすっかり<普通>になってしまいましたね。
by Cedar (2012-02-11 18:15) 

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