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昭和41年、三軒茶屋の玉電 [昔鉄写真]

前々回の記事(キャロットタワー初登頂)がきっかけで、父に連れられ三軒茶屋で玉電を撮ったネガの存在を思い出し、スキャンしてみました。

(1)西太子堂05Rセピアタイトル.jpg キャロットタワーは影もカタチも無く、<さんちゃ>などと呼ばれることもなかった昭和41年の夏に、復刻塗装車がご案内します・・

(2) まずは、世田谷線301の復刻塗装車のモデル、タルゴ・ペコちゃん・はたまたイモムシと呼ばれた200形の登場です。6編成あったトップナンバー201の下高井戸行きです。s41三茶01R.jpg 

下高井戸への線路が二子玉川方面と分岐する地点、今のキャロットタワーの方向から見たアングルです。 このときは父が絶好の撮影スポットを見つけて、自動車の間をすり抜け分岐を通過する電車をしばし撮影したのでした。

(3~6)s41三茶03R.jpgs41三茶02R.jpgs41三茶05R.jpgs41三茶04R.jpg  趣味的には楽しいこの分岐も、玉電にとっては色々と輸送上のネックだったようです。早くから連結運転が行なわれたのも、輸送量が増えると単行では交差支障が発生するのを防ぐためですし、急行運転も無いのに、窓上左右にライトがあるのは、ポイントマンに電車の行き先を知らせるためだったとか・・・(当然終点に向かって左点灯が下高井戸行き・右点灯が二子玉川園行きでしたが、この頃は使ってなかったようです) 

(7)s41三茶05R.jpg 下高井戸から201が戻ってきたので、この撮影場所は撤収!

(8)夏休みの休日で人が多い三軒茶屋の町、246の歩道から見ています。電車がいるところが下高井戸行きの乗り場で、左手前に二子方面の線路がチラッと見えています。s41三茶06R.jpg 正面一帯が現在キャロットタワーが建っている場所です。昭和らしい活気ある町並みの建物は新旧様々ですが、手前右の靴屋さん以外、再開発で悉く消え去りました。

(2~8)の撮影場所は、実は正面に写っているレストランの2階席でした。経堂(玉電山下が最寄り駅)の菩提寺へ墓参りの途中で立ち寄ったので、ランチする場所を探しているうち、父が「あそこの2階は電車が見えるぞ」と言い出したのでした。結果はビンゴ!で、見るだけでなく撮影まで出来ちゃった、というわけです。


(9)本年7月31日の三軒茶屋の街。下高井戸行きの線路がここで道から外れて、手前左に向かっていました。画像(8)で電車がいる辺りがカメラポジションです。三茶街06R.jpg

三茶街03R.jpg(10~12)今の三軒茶屋にも、玉電が走っていた当時の面影があちこちに残っていて、ちょっとうれしくなります三茶街05R.jpg 昭和の商店街によく見られたアーケード(8の写真にも写っています)。写真と反対側の歩道に残っているのは当時のものでしょう。

三茶街01R.jpg246と世田谷通りの三角地のこの建物も当時からあり、元は銀行でしたね。田園都市線の駅出入り口のところに、玉電のポイントマンの詰所があったのも記憶にあります~ここの職員に電車の行き先を知らせるため、窓上のライトが使われていたのは前記通りです。


(13)こちらは渋谷方面を見たところです。首都高が出来る前はこんなに広々とした風景だったことに、改めてびっくりですね。さすがに交差点ですからクルマは多いですが、そのデザインに時代を感じます。後ろに見えるクルマの広告塔のフローリアン・べレット・エルフも懐かしい・・s41三茶08R.jpgs41三茶09R.jpg (14)分岐を直進する二子玉川方面行きの線路は右にカーブを切ります。世田谷用賀育ちの家人、このカーブを200形に乗って通る時の<不思議な揺れかた>を記臆しているのだそうです。

(15)上の写真に写っている歩道橋から見た二子方面の情景です。複線の線路が偏って敷かれ、ご覧のように、二子玉川行きの線路上をクルマが逆走する状態でした。停留所もここにあったのですから、乗降も気を遣ったことでしょう。 s41三茶07R.jpg

渋谷~二子玉川間が消えると同時に首都高の工事も始まり、どこかのんびりした三軒茶屋=街道の追分に茶屋が三軒あったからその名が付いたという、そんな雰囲気はすっかり消えてしまいました。

三茶俯瞰R.jpgキャロットタワーの展望ロビーから行きかう世田谷線を眺めつつ、こんなことを思い出していたのでした。

では、今日はこれで。


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コメント 26

のり

何もコメントすることが出来ないほど感激いたしております。
素晴らしい写真ですね。生きた「ペコちゃん」もいいですねぇ。
もう一度あのころに戻って、いっぱいいっぱい電車を見てみたいものですね。
by のり (2011-08-08 22:40) 

maipenrai

 玉川通りの拡幅は東京オリンピックに向けて完成していたと記憶します。それから廃止までの束の間、広々とした玉川通りを走る玉電の姿が見られたんでしょうね。(15)の写真はインパクトあるなぁ…。おそらく画面左側の道路が拡幅されたのに、線路は従来の位置ののまま。二子玉川方向へ向かう運転手さんも、ヒヤヒヤしながらの運転だったと思います。
 レストランからのアングルも素敵ですが、個人的に反応したのは(13)の写真に写ってるいすゞの看板。この少し後、我が家にやってきて、何年後か免許をとった私が初めて転がしていたのがいすゞ「フローリアン」でした。その先代は、というと、(15)の写真の一番手前に写ってる「日野コンテッサ」。なぜかあのころトラックメーカーの作る乗用車を偏愛していた我が親父でした。
by maipenrai (2011-08-08 23:02) 

教祖

この電車って
昔はあの渋谷に乗り入れてたんですね〜
隔世の感があります。
想像つかなかったです。
by 教祖 (2011-08-09 00:44) 

nexus6

路面電車を追い出した乗用車・トラックたちではありますが、当時のクルマたちの顔つきもイイですね~
映り込んでいるクルマたち、み~んな丸目。 まだ、四角い目も登場しない時代なんですかね。 やはりクルマのヘッドライトは ○○ でなくっちゃ
by nexus6 (2011-08-09 05:59) 

きんぎょ/中澤

玉電70,80,150,200の方向指示灯は、80の16番模型を作るときに写真を探しました。夜間の写真は少ないですが、昭43~44年頃撮影された点灯時の写真がいくつかの写真集に出ています。前灯尾灯と連動点灯で、二子玉川・下高井戸側だけでなく渋谷側が先頭でも、また尾灯側でも点灯されていますね。昭44.3.4大雪の渋谷駅80下高井戸ゆきの前灯と左側方向指示灯点灯(荻原二郎氏撮影・世田谷たまでん時代)は昼間の写真ですが、大雪だったからでしょう・・・
ちなみに80の中央扉下のステップが降りている写真は見つけられず、怪しげな記憶だけで模型化したのです・・・
by きんぎょ/中澤 (2011-08-09 09:46) 

きんぎょ/中澤

あ、すみません間違えました。玉電70には方向指示灯は無いです。
by きんぎょ/中澤 (2011-08-09 10:36) 

なにわ

先週の「くもじい」、東急目線だったので、「都電が少ないじゃないか」と愚痴ってたのですが、玉電はそれなりに出てきました。
東横線での写真ミスはお笑いですが。

さて、さっしいさんのところに無断リンクを貼っておきますか。

それはさておき、今でも取り扱い車種をずらずらと並べているところがありますよ。スズキです。ダイハツも場所によっては出していますが、街の整備工場でも、誇らしげに掲示していますから。
by なにわ (2011-08-09 14:59) 

Junior

 
お墓参りにもカメラを持参てのが”鉄な方”の証拠ですね。(笑)

で、今でも残ってる可能性があるのが架線を張ってた電柱ですね。
気付かない遺産、あるんじゃないですか?
 
by Junior (2011-08-09 21:46) 

猫ムササビ

 奥さまは200形の独特な乗り心地を記憶されているそうですが、沿線育ちの私も思い出しちゃいました。それはそれはスタイルとは裏腹にトロッコに等しい振動地獄だったのです。ギリギリゴリゴリと油ぎれの金属同士が擦れる不快な摩擦音は連接部の車輪径510ミリの単軸台車からでした。過大な横揺れも単軸ならではの横っ面をはたかれたような衝撃です。ですから吊り輪はバネ仕掛けの跳ね上げ式になっていたような気がします。当時は未舗装に近い道路ですから石臼を挽くようなガリガリ音も床下から直に乗客に伝わり、騒音地獄の電車でもありました。
 それでも人気の200形、最前部は前面窓の直下にまで伸びている究極の特等席でした。運良く始発駅で行き当たると老若がこの席の奪取に目の色を変えたものでした。ところが座面から窓までが意外と高くて前面視界が得られず、いたいけな少年の私にはガッカリ感が残っています。
by 猫ムササビ (2011-08-09 22:41) 

Cedar

■のり様
ありがとうございます。玉電はこの頃、車両のバラエティ豊富で楽しめました。ここに写っていない30・40という箱のようなゴツイのもいました。
■maipenrai様
この頃の写真を見るといつも思うのです、東京がいちばんのびのびとしていた時代だったなあ、と。高速で蓋をされた246は歩くのも不快な道になってしまいました。一方で自動車の増加は間違いなく電車を押し出し始めていましたが・・・
■教祖様
渋谷まで行ったいたのが想像つかない、というのがウソみたいです(笑)。
まあ廃止から42年も経っていますから当たり前ですね。
■nexus6様
クルマは電車に比べてライフサイクルが短いので、時代が分りますね。クルマのヘッドライトは普通の電球の時代ですかね?
■きんぎょ/中澤様
なんで渋谷寄りにも方向指示灯が付いてるのか?と思いましたが、大橋車庫の出入庫線がデルタ状になっていた所為でしょうか。中央ステップが降りてくる様は見たことあるのですが、なんだか随分ギクシャクした動きだった記憶があります。
■なにわ様
「くもじい」結構面白いですね。先回は見逃しました、残念でしたが・・・
■Junior様
墓参りにカメラ~コレは我が家の常識でした。何しろ山の手の電車に乗れる年に2度のチャンスでしたから。墓参りが目的か、途中の電車が目的か?よく分らない状態でした。
■猫ムササビ様
沿線住民はずいぶんとシビアですね・・200形の乗り心地のごろごろは、軌道が主原因だったようです。それが証拠に専用軌道ではそれほど騒音は無かった?
1軸連接台車ゆえのローリングやカーブでの船の舳先にいるような横揺れを知っている世田谷人は多い、何はともあれ早すぎたデビューゆえの短命が惜しまれてなりません。
by Cedar (2011-08-09 23:51) 

Cedar


★hanamura様
★nd502様
★YUTAじい様
★denta60様
nice!ありがとうございます

by Cedar (2011-08-09 23:53) 

Cedar

★manamana様
★やまびこ3様
nice!ありがとうございます

by Cedar (2011-08-10 23:58) 

む〜さん

遅くなりました・・・・・懐かしい玉電の写真、感激です。昭和41年といいますと、長男誕生の年であまり撮影もしていなかった頃です。三軒茶屋の二子玉川方面の停留所は、車と電車に人々で、ぐじゃぐじゃでした。(13)、(15)の写真に「あの頃」を感じます。
150形は写真も撮らぬままに消えてゆきました。良いデザインだと思っています。80形は30形に次ぐ好きな形式なのですが、宮の坂の保存車体は、江ノ電仕様なのが惜しいです。
by む〜さん (2011-08-11 17:34) 

Tosi

(1)のお写真で西太子堂駅から三軒茶屋駅に向かう玉電塗装301が、背景の巨大な超高層に比してなんと小さく見えることでしょう。現実の三軒茶屋においては、キャロットタワーの存在に慣らされてしまって久しい(というかなるべく上を見ないようにして歩いている)のですが、こうしてお写真を拝見するとあらためてその威圧感、圧迫感は相当なものだということが解ります。そして1960年代半ばの貴重なお写真の数々を拝見しながら認識せざるを得なかったのは、近年の再開発による町並み景観の変化は、玉電廃止や首都高出現時のそれよりも激烈だったということです。とくに世田谷通りの北側に並んでいた商店街の雰囲気を現状から想い起こすのは非常に困難になってしまいました。たしかにチヨダ靴店がまだあり、通りの反対側には旧協和銀行三軒茶屋支店(現ビッグエコー)、エコー仲見世、さらに通りから少し奥まった一角には三軒茶屋中央劇場などが現存していますし、不思議な細い路地に入り込んだりしたときには玉電の時代まで遡ることができたかのような錯覚に一瞬とらわれることもときとしてあるのですが。
by Tosi (2011-08-12 05:18) 

Cedar

■む~さん様
昭和41年は私は中学生、反抗期というか引き篭もりというかで、普段は父とはあまり話さなかったのに、鉄道のことになると一気に篭絡されてしまうのでした。経堂の寺には道すがらの電車見物+昼飯に釣られてほぼ毎回同行しました、この写真もその中のひとつです。都電以外の唯一の路面電車玉電。連結運転で路上を行くのが大好きでした。
by Cedar (2011-08-12 10:49) 

Cedar

■Tosi様
東京の町並みは破壊の繰り返しですね。震災・戦災・オリンピック・バブル期・そして今も続く高層ビルを主とした再開発という名の街壊し・・・
昭和がすべていいとは思いませんが、街が生活者のものでなくなってしまうのは絶対に良くないと思うのです。
by Cedar (2011-08-12 10:57) 

FTドルフィン

僕の父は
渋谷の百貨店に勤めていまして
学校が休みの日曜
職場に訪ねる事がありました。
井の頭線で渋谷に着くと
すぐ横の玉電の駅の光景が
今でも脳裏に焼き付いています。
広い軌間と小さな電車が
印象的でした。
by FTドルフィン (2011-08-13 00:41) 

Cedar

■FTドルフィン様
渋谷のターミナル、地下鉄銀座線と井の頭線にはさまれて、坂を上っていく玉電の風景を知っている方も少なくなりました。
1067mm・1372mm・1435mmと3種のゲージが並んでいたわけですね。
by Cedar (2011-08-13 19:07) 

Cedar

★しまりす様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2011-08-13 19:08) 

undo

(8)のお写真。さすがに分岐した電車が走ってた頃はまだ生まれてませんがかすかに記憶にあります。
山一証券や三井信託もあったし、不二屋も確かあのあたりだったような。今もある駅前郵便局の局のすぐ裏は世田谷線の降車ホームだったし。

もうだいぶ昔のことですが、子供のころの記憶ってやっぱり残ってますね。懐かしいなぁ・・・・。
by undo (2011-08-15 22:01) 

Cedar

■undo様
私たちがこのとき、撮影したレストランは、その後不二家になっていたのではないでしょうか?郵便局前のホームは(8)の電車が停まっている場所でしたね。
街の賑わいが残っているのはうれしい限りです。
by Cedar (2011-08-15 22:56) 

タカ

素敵な写真ありがとうございます。懐かしくて涙が出ます。今は九州に居てなかなか三茶には帰れません。素敵な時間を過ごせました
by タカ (2012-06-28 00:39) 

Cedar

■タカ様
素敵な時間のお手伝いが出来たなら、嬉しいです。
三茶もどんどん変わって行きますね。
by Cedar (2012-06-28 09:42) 

pape2005

はじめまして、Cedarさん。Pape2005と申します。
ふと生まれ育った三茶のことが懐かしくなり久々に自分のBlogを更新しました。その際に、昭和40年代の三茶画像を検索しており、貴Blogに行き着きました。
一枚、画像を拝借させて頂きたく思い連絡差し上げた次第です。無論、リンクは貼ってあります。
というのも、3枚目の画像に写り込んでいる歩道橋上の二人の少年が、もしかしたらこの当時、この歩道橋を渡り向こう側にあった武笠眼科に通っていた私と兄なのではないか? と思ったからです。私と兄はよくこんな風に国道を見下ろして玉電や自動車を眺めて、通院の行き帰りに歩道橋上で寄り道していた記憶があるのです。・・・
2枚目の写真に同じ人物と思しき二人が写っておりますが、その背丈から推測すると、当時9歳と7歳の私たち兄弟ではないような気もしますので、思い込みに近いものがありますが(笑)

歩道橋の右岸の階段を下りた右手に囲い地が確認できます。武笠眼科はその奥にありました。(現存) 囲い地のトタン塀の上に乗って草茫々のその更地を見ていた記憶があります。

なんであれ、懐かしい写真をありがとうございます!! また画像拝借とリンク承認のほど宜しくお願いします<(_ _)>


by pape2005 (2018-01-14 16:28) 

Cedar

■pape2005様
ご訪問とコメントありがとうございます。
三軒茶屋にお住まいだったのですね。あの街もずいぶん変わりましたねえ。
画像の件&リンクの件了解いたしました。
宜しくお願いいたします。
by Cedar (2018-01-14 18:10) 

原田

Cedar様

番組制作会社の原田と申します。
弊社の制作番組で世田谷区を特集することになり、
その際”玉電”をご紹介したいと思っております。
お父様のお写真を借用させて頂けませんでしょうか?

簡単ではありますが、番組詳細です。
下町にゆかりのあるタレントが
東京の下町に赴き、町のご高齢の方にインタビューし
街の移り変わり歴史と長生きの秘訣を聞く番組です。

何卒宜しくお願い致します。
by 原田 (2019-12-20 14:41) 

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