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京急大師線のデハ230 [昔鉄スナップ]

京急の代表車種といえば?

2100系? 先だって消えた1000系? いえいえ・・わたしにとってはやはりこれ!大師線230-2拡大.jpg  昭和49年の或る日、大師線に使われていた名車230を六郷川沿いの区間で撮影した事がありました。数年前に車体更新が行われたものの、まだまだ元気に活躍しておりました。

(1)第一京浜国道をくぐるこの区間は、土手と町並みに挟まれて、勾配・カーブの続く面白い場所でした。大師線230-3.jpg 今はどうだか解りませんが、当時は架線がコンパウンドカテナリーだったことに、今回初めて気が付きました

(2)ここは明治時代に大師電鉄として開業した京急発祥の区間です。古めかしいレンガの擁壁も残っていました。大師線230-1.jpg

(3)大師線230-1拡大.jpg 230一党は4連に組まれていましたが、デハ290だった3扉車も混じっていました。

(4)大師線230-245.jpg  更新ではアルミサッシ化、ライトのシールドビーム、運転室の全室化などが行われました。先頭の275は、更新前の姿も撮影していました。



(5)昭和37年正月、品川でキャッチした275です。大形ヘッドライト、オデコのルーバー、車体一杯のアンチクライマーやWH形密連など、懐かしい顔つきですね。川崎大師直通臨時急行(通称ダルマ急行)は初詣客で満員、最前部まで延びた特等席には子供が座っています、片隅式運転室に運転士が乗り込み、まもなく発車!アンチクライマー26.jpg


(6・7) この区間にはR90mのカーブもあり、電車はゆっくりと通過します。前サボが川崎⇔川崎大師になっていたのはなぜでしょうね?(大師から先は軌道線だったからという説も~父の話しで真偽の程は謎です)大師線230-2.jpg大師線230-2拡大.jpg 都営地下鉄乗り入れで連結器が変更され、前面下部が掻きとられて、顔つきが変わっていますね(WHの密連=好きだったのですが・・)

というわけで、今日は前回のデハ290の模型から思いついて、デハ230の姿をご覧いただきました。


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コメント 13

はーさん

小生も京急で一番好きなのは230です。
こんなことを言えば、歳が分かりますが、戦前の230(とは言わなかった)
は半室開放形運転台でした。奥行きの長い運転台には仕切りは下しかなく上はポールで囲われていました。
一番前で見て居ると、運転士が細長いマスコンをカリカリという音と共に廻すと共に電車はみるみる加速し、線路が電車の下に吸い込まれて行きました。
こんな幼い頃の思い出と共に、小生の230はあります。
色は赤に近い一色で、戦後、赤と黄色のツートンカラーになってしまい、なにかイメージが損なわれたように感じました。
今回、出された更新した白帯を締めた姿はアンチクライマーが中央で切られたこともあり、嫌いな向きも多いと思いますが、色は昔を思わせるもので
小生は好きでした。弊HPにも載せております。
http://6.fan-site.net/~haasan55/Keihin230.htm
by はーさん (2010-10-23 15:34) 

Cedar

■はーさん様
戦前の関東の電車には半解放形運転台が多く有ったのでしょうか?井の頭線1400形や、東急の3450(戦前の形式は何でしたっけ?)も同様だったのでしょうか。
私の230の記憶はこの記事にも登場するダルマ急行でした、230+140+230+230の4連で100kmくらいは出しました。普段は先頭車に乗りましたが、たまには中間の140に乗って、ブリルMCBのふわふわした乗り心地を楽しみました。
by Cedar (2010-10-23 22:01) 

のり

窓の大きな、京急独特のスタイルですね。古くからのファンの方には、たまらない画像だと思います。
by のり (2010-10-23 22:01) 

manamana

窓が大きくてほんとうに素敵なスタイルですね。
3枚窓でも400形の急行は大学生の頃乗ったのを覚えています。
by manamana (2010-10-23 23:17) 

はーさん

東横線のデハ510(後の3450)は小生のおぼろげな記憶では、半室密閉型運転台だったと思います。
開放形運転台と言えば、路面電車のように中央の運転台の後ろにH棒というのを思い浮かべますが、京浜のデ71形(後の230)の半室開放形は全く違いました。電車の長さ方向に長かったように覚えています。戦前から京浜はドアスイッチは運転士が操作していましたので、その関係かもしれません。
by はーさん (2010-10-24 09:02) 

Cedar

■のり様
琴電に移った230には一度会いに行きました。この電車がいたから、京急のファンになったのだと思います。
■manamana様
旧1000形まで続く大窓の伝統はこの230から始まったのですね。400形などもしっかり伝統を受け継いでいました。それに引き換え最近は・・・
■はーさん様
ご教授ありがとうございます。井の頭線1400形の昔の写真を見たらこちらは半開放形でした。帝都電鉄系は戦後も京浜タイプに影響されていますね。
運転手のドアスイッチ操作は見た事があります、これも地下鉄乗り入れで廃止されました。
by Cedar (2010-10-24 11:11) 

Cedar

★やまびこ3様
★キャプテン・スキャバーズ様
nice!ありがとうございます。
by Cedar (2010-10-24 11:13) 

む〜さん

京浜急行といえば、これはもう、デハ230です。はーさんより一寸遅れて京浜急行に回り逢ったので、もう運転室は板で囲われ、隙間から中が一寸見えるくらいでした。もっぱらデハ230+クハ140+デハ230で急行に使われ、色は既に、赤と黄色のツートンカラーでした。そんなデハ230に憧れました。こんなHPを作ってあります。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link104-khk230.html
・・・・ウエスティングハウスの密連、カッコ良かったですね~。
by む〜さん (2010-10-24 22:46) 

Cedar

■む~さん様
やっぱりそうですよね!京急といえば230・・・
HPの素晴らしい写真は何度拝見しても魅了されますね。更新当時はウェスティングハウスの密連だったのですが、アンチクライマーは中央部が欠けていました、連結器交換に備えていたのでしょうね。
by Cedar (2010-10-25 00:47) 

Cedar

★ひでほ様
nice!ありがとうございます。
by Cedar (2010-10-25 00:47) 

ドラもん

前サボは、やはりお客様への案内便宜上ではないでしょうか。今年の1000形、1500形鋼製車まで残存していた前サボ。来年はどう変化するのでしょう?
by ドラもん (2010-11-08 18:36) 

Cedar

■ドラもん様
確かにそうですねえ。小島新田とか言われても<なんのこっちゃ?>ですしね、北総線や芝山鉄道も見習って欲しいです。印旛日本医大とか芝山千代田とか、どこに行くのかサッパリ解らないですもんね(笑)。
by Cedar (2010-11-08 19:36) 

風旅記

おはようございます。
均整のとれた美しいデザインの車両、魅力的ですね。
大師線の支線然とした雰囲気の中にあっても、長く京急の列車として走ってきた風格のようなものを感じます。本線をスピードを上げて走る様子は、さらに迫力が出て、乗っていても見ていても魅力的だったのではないでしょうか。
京浜工業地帯が今よりも人で溢れていた頃かと思います。川崎大師を越えて、小島新田まで行けば、塩浜操車場にも様々な貨車が行き来していて、活気があっただろうと思います。
産業道路との交差が地下化されるようです。今は1500形が行き来している大師線の風景も、大きく変わることになるようですね。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
by 風旅記 (2018-02-13 09:25) 

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